楽しいの向こう側

  皆さん、あけましておめでとうございます。今年も何卒!今年も思ったことを特大に吐き出す場所としてブログを使っていけたらな〜と思います。

 

  ということで年も明けたことですし、最近思ったことをちょこちょこ吐き出していこうかなと思います。いつもは多少は伝えたいことの目的決めて始めるんですが、今回は今のところまだありません(笑)目的無しです(笑)

 

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  さて、一個軸になりそうな話題はこれです。メンバーソートあるじゃないですか。僕は当たり前に「井上小百合」が一位になるんですが、じゃあ彼女を好きな理由って一言で言うと何だろうってなったんです。もちろん僕は何も持ってないわけじゃないんです。僕の考えを全てひっくるめて一言で表すと「強いけど弱いとこ」なんですけど、これだとその背景を言われないとよくわかんないですよね。だから、分かりやすい一言だと何だろ〜と。ちなみに、この記事を最後まで読んでもこの答えは書いてないと思います…(笑) そんな僕の頭のうえで、最近思ったことをいくつか、話をします。

 

  この時、自分の中ですきすきランキングとか言って順位付けしてました。ちなみにその時はこう。

1 井上小百合

2 齋藤飛鳥

〜〜〜↑まで断トツ

3 大園桃子

4 北野日奈子

5 松村沙友理

6 秋元真夏

7 山下美月

8 久保史緖里

9 与田祐希

10 西野七瀬

  これで友達と話をしてたんです。で、この中で、僕が好きな理由を北野日奈子山下美月について、話してました。

  ざっくり簡単に話すと、北野日奈子は、この子は本当に近い人の存在を必要とするタイプながら、ちゃんとファンの前で強い人でいようとするところ。山下美月は、「アイドル」に自分を入れ込みながらそれをやることで、ちゃんと見て、分かって、支えられて、認められたいんだろうなって。ふたりについて、そういう姿勢が僕は好きです。もっとだらだら話してたわけなんですが、じゃあ井上小百合について話すとしたら、自分はどう話すんだろうと少しハテナになってしまったんですよね。

 

  続いて、↑って12月の大阪全握前後にしてました。僕、この大阪全握、はじめから飛鳥ちゃんに行くつもりでした。ここ最近ぐんぐんに好きなので、とにかく楽しみでしたね。ちょっと小話で、まとめの時、熟練の飛鳥推し二人と並んでました。二人とも何度も飛鳥ちゃんと会ってるけど、今の環境要因みたいなのも含めてまぁ緊張するらしいんです。僕はある程度のまとめもこの時初めてでしたけど、とにかく飛鳥ちゃんと長く話せるのが楽しみでしかありませんでした。ここまでただ握手が、会って話すのが楽しみだって思うって意味では2位の飛鳥ちゃんも僕の中で断トツなんだなってなります。じゃあ飛鳥ちゃんの好きなとこを話す、と考えるとなんか筋道立てて話せないなぁってなりました。僕が飛鳥ちゃんを好きな感覚って、他の子たちとは違って「遠さ」が根本にあります。この「遠さ」、感覚ではわかってるんです。でもうまく組み立てられないんですよね。

 

  続いて、年末年始休暇に入ってから「久保史緖里の宮城・仙台 旅しおり」を見たんです。もともと久保史緖里は気になる子で好きな子でした。でも、目を通してなかったこの動画を見ようと思ったのは、武蔵野のアンダーライブを観たからです。散々言ってる「私のために 誰かのために」の圧倒的主役力を目にしたからです。とにかくこの子が気になって、とにかくこの子をもっと知りたくなったって感覚でした。そして、この旅しおりの動画、めっっっちゃくちゃ良いです。保証します、見てください。最新動画のラストに、歌を詠む流れで2019年に向けての抱負としてこう届けました。

「幸せを みんなに届ける ヒロインに」

   この「ヒロイン」という言葉、史緖里ちゃんは使うんだ、使えるんだ、と思ったんです。僕が、みんなが見たこの子の主役力を、自分で体現する言葉にできるんだなぁって思ったんですね。そう思ったから、僕はこの子について ”最も簡単な結論” で話すと、「自信、または根本の勇気があれば」なんだろうなって思いました。と思いきや、そうでもない。久保推しの人たちと少し話をさせてもらったら、どうやら「自己完結」のきらいがとにかく強い。でも今は少しずつ形を変えてきているみたいです。僕が最初に思った「自信と勇気」、これって人が与えることができます。でもこの「自己完結」があると、これを受けたがらないっていう大きな差があるんですよね。だから、この子、もっと気になるようになりました。

 

最後に、三が日暇だったので「ひらがな推し」マラソンをしました。もともと興味はあったんです、ひらがなけやきちゃん。ただ「触れなければ費やさない」ってだけで。でも、自分の興味にふたをするのって本当は良くない。興味の範囲って広い方が絶対良い。どこから何に繋がるかもわかんないなら、選択肢は多い方がいい。そんなことを暇ながらに思って触れてみました。そしてこの子たち、やっぱり良いです。僕がひらがな推しを見て印象的だったのは、この子たちってすごくお互いくっつきあうんですよ。でもお互いをけなしあったりはしない。良い馴れ合い方だなって思いました。やっぱ触れてみて良かったなって思います。楽しいことは増やした方が良い。

*ちなランキング〜1位松田好花 2位河田陽菜 3位丹生明里 特別賞高本彩花

 

  そして今に至るんですが、ふと、さゆの握手に行く感覚を思い出してみたりしました。もちろん楽しいから券を取って、会いに行ってます。会う前も楽しみでしょうがないです。どんなこと話そうかな〜って、話のネタは無くても話したいことが無いということは一生無いと思います。

 

  でも多分、僕にとってのさゆって、「楽しい」の一個向こうあるのかな〜なんて思いました。それを言葉には今のとこできないんですが、感覚だけはあります。その裏付けとして、僕はたくさん費やしてたくさん会いに行ってますが、もちろん義務だなんて感覚を持ったことは一度もありません。だから、その向こう側、僕が今ここにいるって自分が言葉にできないからうまく「好き」を話せないのかな〜って。

 

  そんなことを考えながら、僕は今年も、たくさん会いに行って、僕の好きな人の前でいっぱい笑っていっぱい笑ってもらうことにします!それしかないですね。

『あの頃、君を追いかけた』

主演:山田裕貴、ヒロイン:齋藤飛鳥|空前のヒットなった台湾映画『あの頃、君を追いかけた』が舞台を日本に移し、旬の若手俳優たちにより新たな物語として生まれ変わる.

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『あの頃君を追いかけた』、これはその感想ブログというか、言いたいことめちゃくちゃ言うためのブログです(笑) まだ上映期間内ではあるので、各々ご配慮お願いしますね。

 

  さて、僕はこの作品、結局3回観ました。映画って安いから何回も観ようって気になれて良いですよね~。いや、映画は何回も観るものではないんですが(笑) 映画は2時間という枠の中で、伏線を撒き、結論に導くために展開をしている、だから余白な部分は無いと思ってます。だからこそ、どうしても1回では理解できなかったり見落としてたりするところがあります。なので、僕は映画を複数回観ること、割と好きです。この作品、キミオイもそうでした。初見で分かったこと、3回観て分かったこと、3回観ても分からなかったこと、そんな話たちをドバーッとしていきます。

 

 

 

 

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  この作品の「メッセージ」、これは何回観ても前にブログにした「大切な人に自分を知ってもらう努力」、これだと思ってます。これは僕自身、初見で感じて、辿り着いた印象なので、いやいやいやという思いがある方はすごく聞いてみたいです。主題歌になっている Thinking Dogs の『言えなかったこと』、浩介と真愛が言えなかったこと、それが言えなかった理由は、それはすべて自責、それが ”できなかった” から、なんだと思います。

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  この作品は、パラレルワールドという見せ方で、非ハッピーエンドを導いています。この「パラレルワールド」、人ってどうしても比較をして生きているんですよね。絶対は無い、なんて言いますけど、これ読み方を変えてもそのままその通りだと思います。人はどこかで、相対してるんです。あの時ああすればもっとこうなってたなぁって後悔したり、あの時ああしてたから今こうあれて幸せだよねって振り返ったり、だからこのパラレルという演出、すごい胸に刺さるもので、僕には刺さりすぎて3回とも観終わったあと苦しくて吐くかと思いました(笑)

  このパラレルワールドという見せ方、その終着点が、最後の結婚式のシーン。ふたりが繋がらなかった現実の世界で、浩介を見て笑っている真愛。繋がったもう一つの世界で、浩介を前に涙する真愛。この差が、繋がった世界と繋がらなかった世界の、この二つの世界の差、だと僕は思います。

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  初見の時、浩介を前にしたウエディングシーンで、なんで真愛が泣いてるか分かんなかったんですよね。だから、この「真愛の涙」には重要なエッセンスがあるんだなって、その後考えながら観てました。この作品で真愛が涙するシーンは4つ。学費盗難の時に反抗してバツを受けた時、浩介を呼び出して第一志望に落ちたことを伝えた時、格闘技大会の後、最後のウエディングシーン。1つ目のバツを受けた時、人って泣き顔は見られたくないもの。「見ないでよ」と言いながら浩介に見られ、浩介は「初めてお前を偉いと思った」と応える。浩介が真愛に入っていった、そんなエッセンスだと思います。2つ目の公園の時、涙を見せられる相手になり、その先を望むシーン。真愛にとって浩介はそれを望む相手になった、そんなエッセンスです。この時も浩介は何かできたか、と言われれば何もできなかった、となるかもしれません。3つ目、これは分かりやすいパラレルワールドの境い目、この時、浩介が真愛の涙を拭えたら、想う相手を想い、涙する時に行動できたら、そんな意味かなって思います。それができていたら、その続きが4つ目のシーンだと思います。

   このときの真愛の涙、涙粒は左目からしか流れてないんです。右目の涙粒は拭われてるんです。皆さん気づきましたか?僕は2回目の観賞で気づきました…3つ目のシーンで、浩介が真愛の涙を拭う時、左手で涙を拭うんです。

  ふたりが繋がらなかった世界では、いつもように幼稚に振る舞う浩介を見て楽しそうに笑う真愛。でも、ふたりが繋がった世界では、浩介の前にいる真愛は浩介の前で涙を流せる真愛で、真愛の前にいる浩介は真愛のその涙を受け取って拭える浩介で、もっともっとお互いに入っていった先としてふたりの関係を描くそんな涙、上手く言えないんですが僕はそう思うんですよね。望む姿がこうだったって、凄くシンプルな結論だなって、思います。

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  詩子の話を少しします。『Everytime we say goodbye, I die a little』、さよならを言うたびに、私は少しだけ死ぬ。元ネタはよく知りませんが、会うたびに分からなくなり離れていく、そんな意味とした時に、これが表すのは詩子と浩介の関係、ですよね。詩子は、真愛と反対に、幼馴染みだからこそ浩介のことを「よく知って」います。そして、そういう好きではなくても浩介のことが好きで、真愛のことも好き、だから真愛に「浩介のことを知ること」をしてもらいたくてフォローをします。私は格闘技をする浩介は好きだな、そう言うこのシーンの詩子が好きです。『もしそれが好きで堪らない人なら、愛され大切にされるのを心から祝福できる。』、この言葉、詩子が浩介へ、その言葉ともできる。そんな三人の関係を、詩子の視点で見るともっとギュッとしますよね。

  そんな詩子が最初の最初に放った言葉、「浩介の中には芸術家と犯罪者がいる」、何気なく放ったものだと思います。ただこれが、真愛に最後まで影響を及ぼした言葉になる。ありますよね、こういうこと。第三者側にいるからポロッと放った言葉が、当事者にとって巨大な言葉になってしまうこと。詩子の言葉によって、詩子の本意でない結果になった。すげぇ苦しいですよね。そういうことってよくあるし、よく知ってるから苦しい。詩子のストーリーってあるようで無いし、無いようであるそんな作り、それがなんか胸に来ました。

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  さて、3回見た結果、全く分からなかったこと、これはどうなんだろうってことがあります。酒のつまみにしたいやつです(笑) 原作を見ればわかること、もあるかと思います。皆さんのアンサー待ってます(笑)

 

●全く分からなかったこと
「芸術家と犯罪者がいる」、芸術家の対が「犯罪者」という例えだったことが何度見ても考えても分かりませんでした。ざっくり感性主義者のことを言っていることは分かります。それを良い言い方をすると芸術者、悪い言い方をすると犯罪者。ただ、犯罪者という重たい言葉を使うまでの意図が全く分かりません。台湾版でもあまり重要なワードでは無いみたいです。真愛は、この後も少し話しますが合理主義者。お互いを知ること、に対してその埋まらない差を表すのに最も重たい言葉だった、そういうことなんですかね?

 

●これはどうなんだろうって誰かの意見を聞きたいこと
①夏休み、ふたりで過ごした橋の上で、真愛は「私のどこが好き?」と浩介に問いました。このときの真愛は何を求めてたんでしょうね?真愛の問い方を見ると、”具体的な言葉” を求めていることは分かります。昭和の道徳、真愛にとっての数学、と話が作られていたように、真愛は合理主義者で、明解な答え、答えである言葉、を求める性格なんだろうと思います。だから、具体的な言葉を求めた。

  じゃあ、なんて言葉を求めたんでしょうね?真愛が最も欲しい具体的な言葉って「付き合って欲しい」こと、それに準ずることだと、この映画上の作りではそうなるんだと僕は思ってます。(卒業し、駅のホームで分かれるシーンで僕はそう捉えました。)なら「どこが好き?」という問いには何を求めていたのか。具体的な好きなとこを言えば納得したのか。真愛は本当の自分が知られてない、自信が無かったから、言われた言葉で判断したかった、んだと僕は思うんですがどうなんでしょう。そうだとしたらすごくリアルだと思います。ただなんだか寂しいですよね。なんかめっちゃ僕の思想というか、別の考えを聞きたいというか。 

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②熱気球を挟んで、浩介は「俺のこと好きか?」と真愛に問いました。結局、浩介が遮ってしまったんですが、この時、真愛はどうしたかったでしょうね?真愛が欲しかった具体的な言葉が付き合って欲しいことだとして、浩介がそれを言えなかった、としたら、真愛は浩介に「好き」という言葉が言えなかった。その言葉を熱気球に書いていました。

  それを答えたかったか、と言われれば答えたかったと僕は思います。熱気球に書いたことは言ったら叶わない、だからこれを言葉にしたくは無かった、というのはめっちゃ分かります。だから、伝えられない、伝えることを拒む、というのもあるなぁとは思います。でも、僕は何かを伝えたかったんじゃないかと思ってます。欲しかった言葉、ではないけど浩介から問われることが無かったんじゃないかなぁ。だとしたら、「好き」という言葉は出せないかもしれないけど、自分に自信が無い中でポジティブな言葉を伝えたかった。そして、それによって浩介の言葉を引き出したかった、そんなチャンスだとしたかったんじゃないかなぁと。浩介に遮られたときの表情は、僕にとってはそう見えました。

  ただこれも、結構僕の中の期待論なんですよね。直接この話じゃないですが、「真愛は最初から浩介と結ばれないことはどこかで気づいてたのでは」という感想をどっかで見ました。そういう見方もあるよなって思ったりします。

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③真愛は「あの日が満月で、私が髪を切っていたら、私たちは付き合っていたかもしれない」と言います。真愛にとってのパラレルワールドの境い目、なぜこれだったのでしょうね?既にお題箱で答えたりはしてますけど、作品上の比較対象演出としてのパラレルワールドの強調だとは思います。

  ただ、真愛もどこかで別の世界があったかもしれない、と気づいていたことが分かる重要なシーンです。初めのテストが返ってきた日の教室、努力してくれた浩介を見て、眺めた満月、真愛が浩介のことを「好き」の意味で意識し出したのは僕はここだと思います。だから、「満月」が重要なもの、なんだと僕は思っています。その時の想いが繰り返されていたら、それが真愛にとってのきっかけになったかもしれない、そうじゃないかなぁと。あと、『You are the apple of my eye.』、満月ってりんごっぽくないですか?バカ(笑) 幼稚(笑) すみませんでした。私が髪を切っていたら、これは正直大きい意味がこもってるとは思えないんですがどうでしょう。自身の希望を、自分の手で叶えていれば、それがきっかけになったかもしれない、そういうこともありますかね。

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   ここまで4358文字、なっが(笑) まあそれだけ好きだったってことで、ここまで目を通してくれた方、有難うございました。でもまだまだ話せることはありますね。追記したくなったらどうしよう(笑)

 

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あとたった一つの努力

  一昨日書いたブログ、『あの頃、君を追いかけた』についての記事、この記事に書かなかったことがあります。それは、2回目を観そうだな、と思ったから、その時に書こうかなと思っていたこと。ただ、初見としての感想を持つ今、それを残しておこうかなと、思います。

 

  今から書くことは、ちょっとばかりかしこまって言うと ”考察” 。僕が初見で思った、この作品のメッセージの話をしたいと思います。

 

  この作品を観た・観てないに関わらず、自身のイメージを大事にされる方は、この先、各々ご配慮くださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  『あの頃、君を追いかけた』、「あの頃」が示す ”過去” も、「追いかけた」が示す ”過去” も、どちらも満足し振り返る過去ではなく、過去という言葉が示す「過ぎ去る」胸苦しさを表している、非ハッピーエンドの作品。非ハッピーエンドである目の前の繋げられなかった世界、ハッピーエンドである繋げられたはずの世界。その境目がなんだったか、そこに想いを込めた作品、そう思います。

 

  その境目、雨の中立ち去っていく浩介を引き留められなかった真愛、真愛の言葉に相対し真愛の前から立ち去ってしまった浩介、その場から離れず涙する真愛のその涙を拭えなかった浩介、このどれか、いやどれもが境目となった行動なんじゃないかって思わされます。でも、僕はこの行動自体がこの作品そのもののメッセージではないと、思いました。

 

  真愛が浩介と別れた理由、それは「不安」でした。不安って、その物事に触れて入っていったときに、初めてその物事に対して持つ感情です。そして、その物事に求められるいる分に達しない分がそのまま不安になる、と僕は思っています。だから、やったことも無い、知りもしないことへの不安って、それを回避する以外に消えることは無い、そう考えてます。入っていく物事が「人」だったとき、それはその人に深く入っていこうとしたとき。その人に対して不安感を憶えたら、それはその人のことを知れていない。その人のことを知れていなければ、不安になる。真愛は知られていない自分のことに対して不安になった、だから「自信がない」が理由になってしまったんだと、僕は思います。

 

  浩介と真愛は、お互いにある問いかけをぶつけ続けます。「勉強、数学を学ぶことに何の意味があるのか」「格闘技、人を殴ることに何の意味があるのか」これは、浩介が真愛を、真愛が浩介を知るための問いかけ。初めから、二人はお互いのことを知ろうとしていたんです。

 

  浩介は真愛を知るために、数学の勉強を頑張った。真愛は浩介を知るために、格闘技の試合を見に行った。でも、真愛は結局、浩介のことが分からなかった。人を殴ることの意味は、結局分からなかった、僕はただこれだけのことじゃないんじゃないかなと思います。真愛が不安になる理由、数学の勉強を通じて、自分のことを分かってもらえたかと思っていた浩介が、私に対して選んだものが、結局分からなかった格闘技だった、そうなんじゃないかなぁと思います。この描写は直接出てはきません。その代わりに使われていた言葉、それが「幼稚」。真愛の「不安」に対する投げかけが「幼稚」なんじゃないかなって、考えているとそう思います。

 

  最後に、これがこの作品の答えだなと思ったシーン。浩介と真愛が別れた後、陽平が真愛に詰め寄って発したこの言葉。「もっと知ってもらうために話したい」。この言葉を受けたときの真愛の表情、そしてこのシーンそもそもの存在意義、あぁこれなんだって思いました。「相手を知り、お互いを知る」だけじゃないんです。

 

  お互いが望んでいた世界に繋げるためのあとたった一つの努力。これは浩介がやらなければいけなかったこと、だけじゃない。真愛もやらなければいけなかったこと。どちらかがこの努力をできていれば繋がった世界が目の前にあったかもしれない。もちろんどちらもこの努力が必要だったかもしれないけど、でも、必ず必要だったあとたった一つのこと。

 

この作品のメッセージは、

「大切な人に自分を知ってもらうこと」

これなんだなって、思いました。

 

 

あの頃になる今

  僕は映画をまったく観ません。それは映画館でもDVDでも。それが、僕の大好きな「乃木坂46」に関わっていても、大きくは変わらない。

 

  僕は今日、『あの頃、君を追いかけた』という作品を観ました。感じたこと、想ったことをどうしても外に放り出したくて、今、映画館の外の公園でこの文章を書いてしまっています。

 

  冒頭の理由で、僕がこの作品を観に行く理由として積み重ねたもののうちの大きな一つに、「画面の中の ”今の齋藤飛鳥” を観ておこうかな」というのがありました。この発想、おそらく身近な飛鳥推しの声がどこか刷り込まれてるんでしょうけど、僕自身がこれを納得できます。

 

  そして観終わった今、やっぱりこれは正しかった。今、ただただ観に来てよかったな〜という気持ちになっています。

↓ツイートしちゃったのでコピペ

『あの頃、君を追いかけた』、今の「齋藤飛鳥」を追っているなら絶対に観てほしい。今の彼女は、今しかいない。それがそこにある。だから、彼女の先がどこまであるかは僕らには分からないけど、今の彼女がそこにいるから、そこにいるこの先の彼女も、追いかけられたら良いなと、思うような作品でした。

  彼女、齋藤飛鳥は20歳。”画面の中の人たち” からしたら、今見つかる、にしてはこれでも少し遅いかもしれません。でも、齋藤飛鳥の「圧倒的な今」を見るには、この作品はこれ以上も無いかもしれないと思い切れます。そして、画面の中の彼女、がこれから先も続いてくれるとしたら、この作品は飛鳥ちゃんを好きな人たちにとって「あの頃」にしてほしいなって、そして、僕らにとって「あの頃」にしてくれるようにこれから先も続けばいいなって、その両面を、ただ感情的に思いました。

 

  客観性の欠片もない完全色眼鏡な主張かもしれませんが、彼女は宝だなぁと思わされました。彼女はアイドルであるから、すぐそこにいるように感じるけど、もちろん僕らの手は届きません。だから、僕らの宝を、大事に大事に扱われる宝になってほしいなって。これが、僕がこの作品を観に来た目的に対する回答となる感情です。この先も、そこにいる彼女を追いかけられたら幸せだなぁと、思いました。

 

 

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  ここからは作品に対する感想を少し。ネタバレ、どうしても出ちゃいます。すみません。許してください。ですので、この先、各々ご配慮くださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

  さて、僕が最初につけようとして、ネタバレニュアンスになるのでやめたタイトルはこう。

 

「繋げられたのに繋げられなかった世界」

 

  理系の性なんだと思いますが、僕は合理性を求めてしまう方の人間だと思います。「お互いが良いと思ってるなら、その形になるべき」なーんてことも思ったりしちゃいます。でも、世の中、合理的にうまく噛み合うことなんて、実はそっちの方が少ないかもしれません。そんな世界、そんなストーリーが繰り広げられる。それがギュッと詰められている、というより、じわじわと飲み込んでいる、そんな作品だった気がします。

 

  僕の好きな飛鳥ちゃん推しの感想ブログにこう綴られていました。(なおさんごめんなさい!)

水島浩介は、そんな多くの人が経験したことがある甘酸っぱい思い出を、僕達の代わりに体現してくれてました。

だから彼に感情移入して、そして尚更早瀬真愛を好きになる事が出来た。

  この作品は、山田裕貴くんが演じる主人公の水島浩介に心が寄り添っていく物語になってると思います。それもじわじわと。それが出来ないと、良かった、とはならない作品かもしれません。そして、じわじわと浩介に心が寄り添ってくから、だんだん齋藤飛鳥演じる早瀬真愛に入っていける。ほんとこの通りだと思います。

 

  だから、浩介のとる振る舞い、真愛のとる振る舞いを見て、それぞれ胸が苦しくなる。歯車が回るトリガーって、実はいっぱいあるんです。作品の中で明確に ”そう” であったシーン。あそこだって、たった一つトリガーを引くか引かないかの差。それだけで繋げられたかもしれない。このシーンは明確に浩介の視点でしたが、真愛の視点でもそう語られるシーンが少しだけあります。両方の視点で語られるから、余計に苦しい。たった一つのことで、歯車は簡単に噛み合わなくなってしまう。それが本当に大事な歯車、でも。

 

「一番最初に伝えたかった」、これは第1志望の結果を伝える時間、これもそうだと思います。作品内の結末には直接関係ないとは思いますけど、僕はこのシーンが好きでした。「一番最初」に「伝える」、これの意味。だからこそあのシーンで、大事な人が弱ったときに、支えられる、意味のある大事な人になりたいなぁと、真愛が真愛で、それが等身大の飛鳥ちゃんだったからこそ、思わされました。

 

  気球を上げたとき、これも一つ。真愛の言葉を遮って浩介が言った「まだ好きで居続けたい」、痛いくらいわかります。でもこれが、「女は先に大人になり、男はそれに気づくことがない。」なんだろうなって。回ってる歯車を外したくないとき、男はトリガーを引かないというトリガーを引くんですよね。それもまた ”幼稚” なんだと、思います。

 

  どれもが誰しも後から分かる、繋げられなかった理由。全てにきっかけがあって、でも繋げられる結果はどこか一つだったかもしれない、そんな理由たち。それは分かってるのに、それができない、やれない。目の前にある繋げられたはずの世界と繋げられなかった世界。それでも幸せを願うのは、精一杯追いかけた証として、あの頃にしまい込むこと。そうできるように、なりたいですね。

 

「頑張れ」の意味

「頑張れ」って言葉、僕は人生であまり使ってきませんでした。人のサポートをしたり人の背中を押したりってことは、職にもしてきたし性格的にもよくやってきたんですが、この言葉はあまり使ってませんでした。いや、使ってはいたんです。でも、この言葉を、ほんとに大事なときに使う言葉にしたかったから、使わなかったってのが正しいかもしれません。

 

「頑張れ」ってどういう意味を持った言葉なんでしょうね。って言われたらイマイチピンとこないなーと思いませんか?正直僕はそう感じてました。頑張れの意味を持ってる色んな言葉の中で、一番なんでもなく使ってるのが頑張れかなって。当たり前なこと言ってますが、そのくらい意味を持ってるようで感じてない言葉なのかって感触です。

 

井上小百合ちゃんがモバメでこんなことを言ってました。モバメなんであえて原文からちょっと崩して書きますが、

「がんばろ」っていう言葉にするんじゃなくて、みんなが自然に「がんばれるよう」にできる人でありたい。

と。僕の推しもこの言葉を言葉にするタイプじゃないみたいです。これすごく分かるんですよね。この言葉を使わずに、頑張れを作れる手段ってたくさんあるんですよ。だから、誰かを支えるときに、どちらかを選べるんだとしたら、僕は「がんばれるよう」の方を選んでました。さゆが「がんばろ」に対して僕と同じように感じてるのか、だから「がんばれるよう」を選んでるのか、全く分かることはないんですが、気持ちは同じなのかもなって、共感したんです。

 

で、実はこれって「言う人側」の側面でしかないんです。じゃあ「言われる側」の側面での「頑張れ」ってどういう意味を持ってるんでしょう。

 

僕の中の感覚では、言う側と同じです。ボヤッと意味があるようで入ってないような、そんな感触です。なんですが、僕は言われるのは好きです。あまり性格が良いとは言えませんね。しんだ方が良いかもしれません。こんなときに頑張れと言ってもらえると心が救われますね。なーに言ってんだこいつ。さて、なんで僕が言われるのは好きなのかの前に、井上小百合ちゃんの話をします。

 

さゆはこんなことを言ったことがあります。

頑張れって言葉は心をえぐられるな。

言われるのが嫌だってことです。正直さゆがこう言うのは、不特定の大多数に言われるから、かなと思います。これが僕と明らかに違うとこです。僕がその立場だったら、少し言葉が悪いですが、無責任に次から次へと発砲してくる、くらいに思うかもしれません。もしさゆが僕と同じこの感覚だったら、頑張れの意味の捉え方も同じだと思います。

 

僕はこれを聞いたとき、あんまり深く考えず、そうなんだぁくらいに感じました。僕は言うのが好きじゃなくて、さゆは言われるのが好きじゃないなら、都合が良くて、その分色んなことでしてあげたいと思ったし、もしかしたら似てんのかなってちょっと思ったくらいです。

 

では、僕が言われるのは好きなのは。さゆとは違い僕が言われるときは、特定の誰かから、だからです。こんなことを考えるようになったのも、最近色々重なって特定の誰かからよく言ってもらえるようになりました。3期ちゃんのモバメもよく「がんばれー」とか「がんばろう」って書いてあります。そんなときに冒頭のさゆのモバメが来たんですよね。

 

この「頑張れ」って言葉、やっぱり意味は無いんです。でも、その分の気持ちを入れられる。多分、気持ちの入れものみたいな言葉なんだと思います。だから不特定の多数に言われるのは重たすぎるんです。だったら、今なら、僕の頑張れって言葉をさゆはキャッチしてくれるかもしれない。そうなんじゃないかなって思います。

 

僕はこの言葉、もともと大事なときには使ってたんです。多分これって、無意識にこの言葉が気持ちそのものだって、分かってたんだけど別の理由をつけてたんだなって気がします。だから、これからはすんなり使いたいなって、さゆにも届けたいなって思ってます。だから、さゆのモバメにある「がんばろ」と「がんばれるよう」って、どっちかにするんじゃなくて、どっちもやればいいじゃんって。どっちもやって、どっちもやれる人になるのが、一番良いなって思ってます。

さゆは不器用だから、どっちかって言うんですよねぇ。ほんとはどっちもちゃんとやってるのに。

 

最後に、「頑張ろう」という言葉、この言葉はもとから好きでした。とても良い言葉だと思います。「頑張る」って言葉、ちゃんとした意味としては『あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する』らしいです。「頑張ろう」は自分に向けるものと誰かに向けるものがあります。自分に向けるものは「鼓舞」で、相手に向けるものは「共に」です。この「共に」。人って生きてれば、ほとんど何らか努力をしてるはずなんですよね。その前提があるから、お互いは必ずどこかで頑張ってる。だから、「共に頑張ろう」という言葉は響く、良い言葉だと思います。