予定があると会うことができる

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  個別握手会の話をちょっとしたいと思います。僕が個握に行きだしたのは3年ちょっと前、2ndシングル「それぞれの椅子」の頃です。それから、シングル9枚アルバム3枚分、47会場に参加しました。僕の推しメンは井上小百合ちゃん。ちょくちょく他のメンバーに行ったりしてますが、さゆがいる会場で、さゆより多く取っているメンバーは一人もいません。さゆを最も多く取ったシングルは18thの156枚、これまでのブースイン回数は500回程になりました。

 

  さて、僕の推しメンの井上小百合ちゃん、ずっと抱えていた怪我の影響で次のシングルは活動お休みとなりました。僕の乃木坂への活動は個握が基本軸、そしてその中身も井上小百合が軸なので、それが1シングル分無いとなるとかなりキツいというか寂しいなぁとなります。

 

  僕にとっては、乃木坂に対して、というか今のアイドルの形態に対して、「会いに行ける」ということだけが最大の価値です。これがたとえ絶対的な推しメンに対してであっても、それは変わりません。次のシングルの期間、さゆは舞台に出演することが決まっていますね。卒業前後とかは関係なく、そうやって活動を見れることができれば良いと言える人もいます。僕はそれがまったくありません。もちろん見れないより見れるに越したことは無いんですが、それで満たされると言うことはありません。僕にとっては「会って、話して、時間や想いを交わせる」のが全てなんです。

 

  そして、ただ1シングル休みだなって確信に近い予想が立てられれば良いんですが、それもそうじゃない微妙な感じがあります。一つは個握免除の話。噂されている数字上はもう1,2シングルないと達しません。だから本来気にすることは無いと言えば無い。そしてもう一つは卒業という存在。もうこれは絶対に避けれない言葉、いつあったっておかしくないです。なんなら僕は「この子は思ってたより長くいた」と思うくらいです。このどちらも、確かに考えすぎといえばそうかもしれません。よく言われていることを並べてるだけな感じもあります。ただ、今回、次のシングルを休む理由が一過性のものじゃない、そこがすごく根本にあるんですよね。

 

  と、ここまで前提を詰め込むためになんか重ために話してきましたが、この先ゆるりと思ったことを思ったままに話していきます。

 

  23rdシングルの個別握手会、08/10がさゆが参加する最後の日程でした。その後にこのブログを書こうかなぁと思ってたんですよね。書こうかなぁというか書きたくなるだろうなぁと。その前の日程、07/28の個握でちょっとヤだな〜クるな〜と思ってたんですよ。特に5部とか、柄にもなく昔話しよっかな〜と思っちゃって。結局この時はいつも通りになってしなかったんですけどね(笑) だから、うわ〜ちょっとなんかな〜と思いつつあるときにこのお題箱が来ました。だから最後の日程はもっとクるだろうな〜と思って(笑)

 

  で、08/10の当日、さゆの券以外に2人の大好きな子の券を持ってたんです。でもそれですら正直いらねえなぁとかちょっと思っちゃいました。この日というか、この日の時間がちょっとなんか今までと違うなぁって感覚で。いや、これまでの毎回もちゃんと大事にしてましたよ。楽しくなかった日なんて無かったし、話すことが無いなんてことも無かったです。でもなんかこの日は ”そういう日” のリハーサルというか、なんかちょっと僕の中でそういうのがありました。なので、普段ではちょっとしないだろうような話をしたくなって、結局しました。自分の昔話と驕りになる話と恋人つなぎ(笑) 「プロサユリストで良いですか?」って聞いたら「アマチュアではないね」って言われたのはちょっと嬉しかったです(笑)

 

  4部、いつものようにレーン並んでたら、同じくらい券を取る仲良い奴が「どうしましょう、はっしーさんどうします?」とか話しかけてきて、あーやっぱり同じなんだなと思いました。ちょっと安心しちゃいました。

  5部、うっすらみんな同じ感覚を持ってる雰囲気がレーンにありました。あのレーンで言葉を交わす人たち同士がそれを共有してたのもあると思います。

  この5部は、隣のレーンの星野みなみちゃんは最後の個別握手会みたいでした。例の数字のあれで。みなみちゃんレーンですごい泣いてる人がいて、すごい苦しくてキツくなりました。気持ちが理解できるだろうから、どういう想いなんだろうなって考えたりしました。

 

  さてさて、お題に答えます。まず僕の推しメンは、”まだ” 免除ではありません。だから正しくは答えられませんが、僕は今のこの状態でも寂しい、寂しかったです。でも僕や他のサユリストの寂しさって、先があるのかわからない ”不安” の寂しさなんですよね。だから、本番である ”別れ” の寂しさは、本当にそうなってみないとわからないです。ずーっと個握に通ってる人にとっての個別握手会って「学校」みたいなもんなんですよ。”そこに行く” から、交われて、作られて、固まる時間があるんです。学校から卒業したりして出て行っても、永遠の別れではないし会うことはできる、でもそれだけの話じゃないんです、というのが僕の想いです。

 

  他のファンは、今更そんなことって思うかもしれません。でもこれって順番に来てるだけですよね。その順番が来て、僕や僕らは初めての感覚を知らされているだけなんです。そのタイミングがなんかすごく濃縮されて来た、そんな感じがしてるだけなんだと思います。

 

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  さゆは普段、各シングルの最後の日程なんて把握すらしてないです。それでもこんなのが来たのは、みんなが同じことを伝えたんだろうなと思います。僕が「寂しい」って伝えたら「寂しいの?」って返ってきました。さゆ自身はそう思う方ではないみたいなんですが、伝えると伝わる心を持ってる子です。だから、こういうのが来ると余計に詰まってしまいます。

 

  上でも話しましたが、本番の寂しさは、僕は経験したことがないので想像が全然できません。最後の日に、自分がどう振る舞えるかわかりませんし自信がありません。ただ、次に会う予定があるかどうかに不安になって、寂しかったし、寂しいし、最後の時は寂しくなるだろう、それは間違いないと思います。でも、どうしたらいいか、これは僕にはわかりません。考えるけどわかりません。どうしたらいいでしょうね。ここまで書いてきて余計にわからなくなったし、そもそもこのブログで何を伝えたいのかもわからなくなりました(笑)

 

  サユリストと呼んでいる井上小百合推しは、他のファンに比べたら仲が良い方だと思います。僕はそれをさゆに伝えたことはあるし、みんなもそれを伝えたことはあるかもしれません。伝えなくてもさゆはわかっていると思います。でも、なんかそれだけ、さゆに伝えたいなぁと、ただそれだけが残りました。

想い出の力

  公開日から何日経ったのでしょうね。Documentary of 乃木坂46「いつのまにか、ここにいる」を見ました。その感想を握手会前に少し夜更かししながら、思ったことを書いていきます。なんか乃木坂に対して思ったことを書き出すのって久々だなぁという感じがしてます。

 

  いつまで映画が公開されてるのか実はよく知らないんですが、ここから先はネタバレもあるかもしれないので、各々配慮くださいね。

 

 

 

 

 

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  さて、この作品、どう始まるのかなぁと思っていましたが、監督目線の字幕から入りました。正直これ、めちゃくちゃサムイなぁと思いました。この作品は乃木坂46の形を収めるものであってほしい、としたら監督の主観や構成作り中のプロセスとか観る側にはいらないんですよ。見続けた先に、こういう流れで作られてたんだって気付けるくらいが良い。なので最初から表に立たれて興ざめって感じでしたね、僕は。あとついでに先に言っておくと、無理やり章立てとして構成してましたけど、そこまで強引にしないと構成作れないんだって思いました。使う場面、シーンも時系列に流れる割にはコロコロ変わってつまみ食いみたいだし、字幕もほんとにそこか?って思うとこもあったし、全体的に残念だなと思いました。まぁあんまりブーブー言っててもしょうがないんで、乃木坂46に話を向けていきます。

 

  この作品は西野七瀬齋藤飛鳥にフォーカスされています。グループを語るときに、そのグループのキーパーソンを主軸にすることが、これはなんら悪いことと思いません。むしろその方がまとまっていくと思います。直近の乃木坂46は、明確にこの2人のストーリーが主軸にあったと思います。なので、この2人が軸に進んでいくことはなんら不思議じゃない。そして西野七瀬にフォーカスする以上、時系列順に話を進めざるを得ないのはしょうがないかなって思うしかないです。

 

  で、でですね、皆さんがすごく特定の人にフォーカスしていることに気になってしまうのは、本来、キーパーソンを引き金にして、今の、その時の乃木坂46が示される、という話の形がドキュメンタリーだと思うんですよね。この作品はそこに話が進まず、西野七瀬齋藤飛鳥へのフォーカスやシーンのカットがその子たちだけのストーリーに収まってしまう、というのがすごく多く感じてしまう作りになってるからだろうなと、僕はそう感じました。飛鳥の同窓会のシーンなんて丸々それだと思います。西野は基本西野自身のコメントで進んでいきましたけど、乃木坂46に紐着くコメントだけ残すとするともう少しカットとして減っていた、必要の無いところってまぁまぁあったと感じます。

 

  その中で、西野七瀬与田祐希齋藤飛鳥大園桃子の2つのペアのストーリーはすごくその感覚の流れであって、グッときたと、僕は思うし、皆さんも感情的にそう感じてるんじゃないかなぁと思います。

 

  西野はキーパーソンと言えども、今回たまたま ”旅立つ人” というキーの役割も持っていました。与田は、キーパーソンである西野の受け継ぐ先。与田は乃木坂46の核であった西野と偶然巡り会い、西野が持っているもの、だけじゃなくて、その存在自体を受け取れる場所に立てた。与田は端から見てもいっぱいいっぱいだし、自分でも足りてないんだなぁと思ってるんだろうけど、でも自分が今その場所にいることを西野七瀬という存在から受け取っているんだろうと思います。西野七瀬を引き金に、与田祐希をコトバにして、乃木坂46を示す、これがあったから与田祐希のストーリーはすごく入って見れたんだと思いました。与田はすごくいい子だなと思います。目を見開いてボロボロと涙を流せる感性はすごく惹きつけられました。

 

  飛鳥は今回、今の乃木坂46としての最大のキーパーソンです。ただ、飛鳥がそのまま乃木坂46を示すということがすごく多くない。それを逆に大園桃子が引き出していたというのも、その関係もあって今回ファンみんなが一番心に染みたシーンになってるんだと思います。「大園先生はすごく難しいんですよ」と飛鳥は言ってました。この言葉はそのまま、ここでは掘りません。そんな大園桃子が言った「乃木坂46も、悪くないなと思いました」という言葉、これは ”私もこのチームでありたいと、心からそう感じた” という意味合い。それにストレートに反応する飛鳥。こここそ、2人が ”乃木坂46という存在の証” で共鳴し合った、乃木坂46というチームに対する示しなんだと思います。こういう感覚は言葉にしようが無いからズバッと言えないんですが、そういうことなんです。このシーンも、齋藤飛鳥を引き金に、大園桃子をコトバにして、乃木坂46を示した、その意味付けの最たるシーンがここなんだろうなと思いました。齋藤飛鳥が何かを思っただろうその中身はまったく見せません。でも大園桃子齋藤飛鳥に何かを思わせただろうことは見させてくれます。おもしろいですよね、もっとそっと見ていたいです。

 

  この2つのペアは、時間の向きで言うと今と未来。そこに過去の味つけを加えたのが、西野七瀬白石麻衣のシーンだと思います。レコード大賞という成果は、過去からの積み重ねの意味なんだろうなと僕は思います。その積み重ねを大きく導いてきたのが紛れもなく西野七瀬白石麻衣レコード大賞はもちろん乃木坂46を示すトピックとしてめちゃくちゃ重要なエッセンスです。ただそこで、白石麻衣にフォーカスするのではなく、西野七瀬との関係性に白石麻衣を取り上げた。そこに細やかな構成は無かったですが、これもまた、西野七瀬を引き金に、白石麻衣をコトバとして、積み重ねの過去という意味合いでの乃木坂46を示した、そう思うと軽く見えて大事なシーンだなと思いました。

 

  なんとなくそうやって見ていたときに、やっぱりこの子はそのまま乃木坂46だなぁと感じちゃうのが、秋元真夏高山一実、でしたね。こうあまり詳しくない人が密着しても、乃木坂46の「心」は秋元真夏高山一実であり、「体」は西野七瀬齋藤飛鳥なんだなって、そうだよなって思いました。乃木坂46の心と体。西野や飛鳥の発言って「心」側ではないんですよやっぱ。逆に、秋元や高山の発言って「体」側ではないんです。そうやって役割がしっかり分かれてて、それはポジション的にも鑑みられてたりするんだろうな〜とか思うと、すごく出来上がったチームだなぁと感じます。それはどう引き継がれていくのだろうなとか、思ったりしました。

 

  桜井は「このグループに留まってるのは想い出と好きな人と一緒に過ごすこと」と言ってました。僕はこの「想い出」という言葉がすごく残りました。秋元は「卒業がある度に次に卒業する人のことが心配になって悲しくなる」って言ってましたね。秋元の想いも、想い出を作っていった人がいなくなる度に薄れていってしまう、という誰しもが感じたことあるネガティブな感情だと思います。この作品は卒業、ある意味未来側を軸に引きだそうとしていたんじゃないかなって感じます。なのに、メンバーから出てきた言葉は「想い出」。狙いとは裏に出てきたから、余計に際立つ過去側のメッセージ。すごく等身大だし、仲間が仲間として大事にしてきたはずとして出てくるメッセージだから、すごく大きな意味を持つと思うんですよね。

 

  作品の中でも明確に言葉にされていましたが、乃木坂46はもう ”出来上がったグループ” だと思います。だからこそ、この作品が伝えたい、今の乃木坂46を示す想いって「存在」と「想い出」なんだなって、僕は思いました。存在とは、これから先という未来に大事に形守っていきたい乃木坂46というチームの存在、そして過去を積み重ね、未来を託すメンバーという存在。想い出とは、乃木坂46というチームの形そのものである過去からの積み重ね。出来上がったグループだからこそそんな両側の意味を伝えられるし、伝えたくなったんだろうなと、そんな風に思いました。

 

  この作品で、生田絵梨花が登場するシーンはすべてこの意味合いが隠れてるんじゃないかと感じます。生田絵梨花のストーリーが最後にある意味、上記の秋元の発言に対して返した「まだがんばるよ」という言葉、それは乃木坂46にある「存在」と「想い出」という力、それをコトバにしたのが生田絵梨花だったんだと思います。

 

  どこでどんな活動をしていようとも、いつのまにかここにいる、その ”ここ” とは そんな想いがかたまった ”乃木坂46” なんだなって、そう思いました。

 

 

 

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また今回も長くなりました。ここまで読んでくださった方、有難うございました!やっぱり僕はシンクロニシティが大好きでした!シンクロニシティという曲がつくった乃木坂46乃木坂46というチームがつくったシンクロニシティという曲が大好きです!

楽しいの向こう側

  皆さん、あけましておめでとうございます。今年も何卒!今年も思ったことを特大に吐き出す場所としてブログを使っていけたらな〜と思います。

 

  ということで年も明けたことですし、最近思ったことをちょこちょこ吐き出していこうかなと思います。いつもは多少は伝えたいことの目的決めて始めるんですが、今回は今のところまだありません(笑)目的無しです(笑)

 

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  さて、一個軸になりそうな話題はこれです。メンバーソートあるじゃないですか。僕は当たり前に「井上小百合」が一位になるんですが、じゃあ彼女を好きな理由って一言で言うと何だろうってなったんです。もちろん僕は何も持ってないわけじゃないんです。僕の考えを全てひっくるめて一言で表すと「強いけど弱いとこ」なんですけど、これだとその背景を言われないとよくわかんないですよね。だから、分かりやすい一言だと何だろ〜と。ちなみに、この記事を最後まで読んでもこの答えは書いてないと思います…(笑) そんな僕の頭のうえで、最近思ったことをいくつか、話をします。

 

  この時、自分の中ですきすきランキングとか言って順位付けしてました。ちなみにその時はこう。

1 井上小百合

2 齋藤飛鳥

〜〜〜↑まで断トツ

3 大園桃子

4 北野日奈子

5 松村沙友理

6 秋元真夏

7 山下美月

8 久保史緖里

9 与田祐希

10 西野七瀬

  これで友達と話をしてたんです。で、この中で、僕が好きな理由を北野日奈子山下美月について、話してました。

  ざっくり簡単に話すと、北野日奈子は、この子は本当に近い人の存在を必要とするタイプながら、ちゃんとファンの前で強い人でいようとするところ。山下美月は、「アイドル」に自分を入れ込みながらそれをやることで、ちゃんと見て、分かって、支えられて、認められたいんだろうなって。ふたりについて、そういう姿勢が僕は好きです。もっとだらだら話してたわけなんですが、じゃあ井上小百合について話すとしたら、自分はどう話すんだろうと少しハテナになってしまったんですよね。

 

  続いて、↑って12月の大阪全握前後にしてました。僕、この大阪全握、はじめから飛鳥ちゃんに行くつもりでした。ここ最近ぐんぐんに好きなので、とにかく楽しみでしたね。ちょっと小話で、まとめの時、熟練の飛鳥推し二人と並んでました。二人とも何度も飛鳥ちゃんと会ってるけど、今の環境要因みたいなのも含めてまぁ緊張するらしいんです。僕はある程度のまとめもこの時初めてでしたけど、とにかく飛鳥ちゃんと長く話せるのが楽しみでしかありませんでした。ここまでただ握手が、会って話すのが楽しみだって思うって意味では2位の飛鳥ちゃんも僕の中で断トツなんだなってなります。じゃあ飛鳥ちゃんの好きなとこを話す、と考えるとなんか筋道立てて話せないなぁってなりました。僕が飛鳥ちゃんを好きな感覚って、他の子たちとは違って「遠さ」が根本にあります。この「遠さ」、感覚ではわかってるんです。でもうまく組み立てられないんですよね。

 

  続いて、年末年始休暇に入ってから「久保史緖里の宮城・仙台 旅しおり」を見たんです。もともと久保史緖里は気になる子で好きな子でした。でも、目を通してなかったこの動画を見ようと思ったのは、武蔵野のアンダーライブを観たからです。散々言ってる「私のために 誰かのために」の圧倒的主役力を目にしたからです。とにかくこの子が気になって、とにかくこの子をもっと知りたくなったって感覚でした。そして、この旅しおりの動画、めっっっちゃくちゃ良いです。保証します、見てください。最新動画のラストに、歌を詠む流れで2019年に向けての抱負としてこう届けました。

「幸せを みんなに届ける ヒロインに」

   この「ヒロイン」という言葉、史緖里ちゃんは使うんだ、使えるんだ、と思ったんです。僕が、みんなが見たこの子の主役力を、自分で体現する言葉にできるんだなぁって思ったんですね。そう思ったから、僕はこの子について ”最も簡単な結論” で話すと、「自信、または根本の勇気があれば」なんだろうなって思いました。と思いきや、そうでもない。久保推しの人たちと少し話をさせてもらったら、どうやら「自己完結」のきらいがとにかく強い。でも今は少しずつ形を変えてきているみたいです。僕が最初に思った「自信と勇気」、これって人が与えることができます。でもこの「自己完結」があると、これを受けたがらないっていう大きな差があるんですよね。だから、この子、もっと気になるようになりました。

 

最後に、三が日暇だったので「ひらがな推し」マラソンをしました。もともと興味はあったんです、ひらがなけやきちゃん。ただ「触れなければ費やさない」ってだけで。でも、自分の興味にふたをするのって本当は良くない。興味の範囲って広い方が絶対良い。どこから何に繋がるかもわかんないなら、選択肢は多い方がいい。そんなことを暇ながらに思って触れてみました。そしてこの子たち、やっぱり良いです。僕がひらがな推しを見て印象的だったのは、この子たちってすごくお互いくっつきあうんですよ。でもお互いをけなしあったりはしない。良い馴れ合い方だなって思いました。やっぱ触れてみて良かったなって思います。楽しいことは増やした方が良い。

*ちなランキング〜1位松田好花 2位河田陽菜 3位丹生明里 特別賞高本彩花

 

  そして今に至るんですが、ふと、さゆの握手に行く感覚を思い出してみたりしました。もちろん楽しいから券を取って、会いに行ってます。会う前も楽しみでしょうがないです。どんなこと話そうかな〜って、話のネタは無くても話したいことが無いということは一生無いと思います。

 

  でも多分、僕にとってのさゆって、「楽しい」の一個向こうあるのかな〜なんて思いました。それを言葉には今のとこできないんですが、感覚だけはあります。その裏付けとして、僕はたくさん費やしてたくさん会いに行ってますが、もちろん義務だなんて感覚を持ったことは一度もありません。だから、その向こう側、僕が今ここにいるって自分が言葉にできないからうまく「好き」を話せないのかな〜って。

 

  そんなことを考えながら、僕は今年も、たくさん会いに行って、僕の好きな人の前でいっぱい笑っていっぱい笑ってもらうことにします!それしかないですね。

『あの頃、君を追いかけた』

主演:山田裕貴、ヒロイン:齋藤飛鳥|空前のヒットなった台湾映画『あの頃、君を追いかけた』が舞台を日本に移し、旬の若手俳優たちにより新たな物語として生まれ変わる.

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『あの頃君を追いかけた』、これはその感想ブログというか、言いたいことめちゃくちゃ言うためのブログです(笑) まだ上映期間内ではあるので、各々ご配慮お願いしますね。

 

  さて、僕はこの作品、結局3回観ました。映画って安いから何回も観ようって気になれて良いですよね~。いや、映画は何回も観るものではないんですが(笑) 映画は2時間という枠の中で、伏線を撒き、結論に導くために展開をしている、だから余白な部分は無いと思ってます。だからこそ、どうしても1回では理解できなかったり見落としてたりするところがあります。なので、僕は映画を複数回観ること、割と好きです。この作品、キミオイもそうでした。初見で分かったこと、3回観て分かったこと、3回観ても分からなかったこと、そんな話たちをドバーッとしていきます。

 

 

 

 

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  この作品の「メッセージ」、これは何回観ても前にブログにした「大切な人に自分を知ってもらう努力」、これだと思ってます。これは僕自身、初見で感じて、辿り着いた印象なので、いやいやいやという思いがある方はすごく聞いてみたいです。主題歌になっている Thinking Dogs の『言えなかったこと』、浩介と真愛が言えなかったこと、それが言えなかった理由は、それはすべて自責、それが ”できなかった” から、なんだと思います。

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  この作品は、パラレルワールドという見せ方で、非ハッピーエンドを導いています。この「パラレルワールド」、人ってどうしても比較をして生きているんですよね。絶対は無い、なんて言いますけど、これ読み方を変えてもそのままその通りだと思います。人はどこかで、相対してるんです。あの時ああすればもっとこうなってたなぁって後悔したり、あの時ああしてたから今こうあれて幸せだよねって振り返ったり、だからこのパラレルという演出、すごい胸に刺さるもので、僕には刺さりすぎて3回とも観終わったあと苦しくて吐くかと思いました(笑)

  このパラレルワールドという見せ方、その終着点が、最後の結婚式のシーン。ふたりが繋がらなかった現実の世界で、浩介を見て笑っている真愛。繋がったもう一つの世界で、浩介を前に涙する真愛。この差が、繋がった世界と繋がらなかった世界の、この二つの世界の差、だと僕は思います。

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  初見の時、浩介を前にしたウエディングシーンで、なんで真愛が泣いてるか分かんなかったんですよね。だから、この「真愛の涙」には重要なエッセンスがあるんだなって、その後考えながら観てました。この作品で真愛が涙するシーンは4つ。学費盗難の時に反抗してバツを受けた時、浩介を呼び出して第一志望に落ちたことを伝えた時、格闘技大会の後、最後のウエディングシーン。1つ目のバツを受けた時、人って泣き顔は見られたくないもの。「見ないでよ」と言いながら浩介に見られ、浩介は「初めてお前を偉いと思った」と応える。浩介が真愛に入っていった、そんなエッセンスだと思います。2つ目の公園の時、涙を見せられる相手になり、その先を望むシーン。真愛にとって浩介はそれを望む相手になった、そんなエッセンスです。この時も浩介は何かできたか、と言われれば何もできなかった、となるかもしれません。3つ目、これは分かりやすいパラレルワールドの境い目、この時、浩介が真愛の涙を拭えたら、想う相手を想い、涙する時に行動できたら、そんな意味かなって思います。それができていたら、その続きが4つ目のシーンだと思います。

   このときの真愛の涙、涙粒は左目からしか流れてないんです。右目の涙粒は拭われてるんです。皆さん気づきましたか?僕は2回目の観賞で気づきました…3つ目のシーンで、浩介が真愛の涙を拭う時、左手で涙を拭うんです。

  ふたりが繋がらなかった世界では、いつもように幼稚に振る舞う浩介を見て楽しそうに笑う真愛。でも、ふたりが繋がった世界では、浩介の前にいる真愛は浩介の前で涙を流せる真愛で、真愛の前にいる浩介は真愛のその涙を受け取って拭える浩介で、もっともっとお互いに入っていった先としてふたりの関係を描くそんな涙、上手く言えないんですが僕はそう思うんですよね。望む姿がこうだったって、凄くシンプルな結論だなって、思います。

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  詩子の話を少しします。『Everytime we say goodbye, I die a little』、さよならを言うたびに、私は少しだけ死ぬ。元ネタはよく知りませんが、会うたびに分からなくなり離れていく、そんな意味とした時に、これが表すのは詩子と浩介の関係、ですよね。詩子は、真愛と反対に、幼馴染みだからこそ浩介のことを「よく知って」います。そして、そういう好きではなくても浩介のことが好きで、真愛のことも好き、だから真愛に「浩介のことを知ること」をしてもらいたくてフォローをします。私は格闘技をする浩介は好きだな、そう言うこのシーンの詩子が好きです。『もしそれが好きで堪らない人なら、愛され大切にされるのを心から祝福できる。』、この言葉、詩子が浩介へ、その言葉ともできる。そんな三人の関係を、詩子の視点で見るともっとギュッとしますよね。

  そんな詩子が最初の最初に放った言葉、「浩介の中には芸術家と犯罪者がいる」、何気なく放ったものだと思います。ただこれが、真愛に最後まで影響を及ぼした言葉になる。ありますよね、こういうこと。第三者側にいるからポロッと放った言葉が、当事者にとって巨大な言葉になってしまうこと。詩子の言葉によって、詩子の本意でない結果になった。すげぇ苦しいですよね。そういうことってよくあるし、よく知ってるから苦しい。詩子のストーリーってあるようで無いし、無いようであるそんな作り、それがなんか胸に来ました。

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  さて、3回見た結果、全く分からなかったこと、これはどうなんだろうってことがあります。酒のつまみにしたいやつです(笑) 原作を見ればわかること、もあるかと思います。皆さんのアンサー待ってます(笑)

 

●全く分からなかったこと
「芸術家と犯罪者がいる」、芸術家の対が「犯罪者」という例えだったことが何度見ても考えても分かりませんでした。ざっくり感性主義者のことを言っていることは分かります。それを良い言い方をすると芸術者、悪い言い方をすると犯罪者。ただ、犯罪者という重たい言葉を使うまでの意図が全く分かりません。台湾版でもあまり重要なワードでは無いみたいです。真愛は、この後も少し話しますが合理主義者。お互いを知ること、に対してその埋まらない差を表すのに最も重たい言葉だった、そういうことなんですかね?

 

●これはどうなんだろうって誰かの意見を聞きたいこと
①夏休み、ふたりで過ごした橋の上で、真愛は「私のどこが好き?」と浩介に問いました。このときの真愛は何を求めてたんでしょうね?真愛の問い方を見ると、”具体的な言葉” を求めていることは分かります。昭和の道徳、真愛にとっての数学、と話が作られていたように、真愛は合理主義者で、明解な答え、答えである言葉、を求める性格なんだろうと思います。だから、具体的な言葉を求めた。

  じゃあ、なんて言葉を求めたんでしょうね?真愛が最も欲しい具体的な言葉って「付き合って欲しい」こと、それに準ずることだと、この映画上の作りではそうなるんだと僕は思ってます。(卒業し、駅のホームで分かれるシーンで僕はそう捉えました。)なら「どこが好き?」という問いには何を求めていたのか。具体的な好きなとこを言えば納得したのか。真愛は本当の自分が知られてない、自信が無かったから、言われた言葉で判断したかった、んだと僕は思うんですがどうなんでしょう。そうだとしたらすごくリアルだと思います。ただなんだか寂しいですよね。なんかめっちゃ僕の思想というか、別の考えを聞きたいというか。 

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②熱気球を挟んで、浩介は「俺のこと好きか?」と真愛に問いました。結局、浩介が遮ってしまったんですが、この時、真愛はどうしたかったでしょうね?真愛が欲しかった具体的な言葉が付き合って欲しいことだとして、浩介がそれを言えなかった、としたら、真愛は浩介に「好き」という言葉が言えなかった。その言葉を熱気球に書いていました。

  それを答えたかったか、と言われれば答えたかったと僕は思います。熱気球に書いたことは言ったら叶わない、だからこれを言葉にしたくは無かった、というのはめっちゃ分かります。だから、伝えられない、伝えることを拒む、というのもあるなぁとは思います。でも、僕は何かを伝えたかったんじゃないかと思ってます。欲しかった言葉、ではないけど浩介から問われることが無かったんじゃないかなぁ。だとしたら、「好き」という言葉は出せないかもしれないけど、自分に自信が無い中でポジティブな言葉を伝えたかった。そして、それによって浩介の言葉を引き出したかった、そんなチャンスだとしたかったんじゃないかなぁと。浩介に遮られたときの表情は、僕にとってはそう見えました。

  ただこれも、結構僕の中の期待論なんですよね。直接この話じゃないですが、「真愛は最初から浩介と結ばれないことはどこかで気づいてたのでは」という感想をどっかで見ました。そういう見方もあるよなって思ったりします。

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③真愛は「あの日が満月で、私が髪を切っていたら、私たちは付き合っていたかもしれない」と言います。真愛にとってのパラレルワールドの境い目、なぜこれだったのでしょうね?既にお題箱で答えたりはしてますけど、作品上の比較対象演出としてのパラレルワールドの強調だとは思います。

  ただ、真愛もどこかで別の世界があったかもしれない、と気づいていたことが分かる重要なシーンです。初めのテストが返ってきた日の教室、努力してくれた浩介を見て、眺めた満月、真愛が浩介のことを「好き」の意味で意識し出したのは僕はここだと思います。だから、「満月」が重要なもの、なんだと僕は思っています。その時の想いが繰り返されていたら、それが真愛にとってのきっかけになったかもしれない、そうじゃないかなぁと。あと、『You are the apple of my eye.』、満月ってりんごっぽくないですか?バカ(笑) 幼稚(笑) すみませんでした。私が髪を切っていたら、これは正直大きい意味がこもってるとは思えないんですがどうでしょう。自身の希望を、自分の手で叶えていれば、それがきっかけになったかもしれない、そういうこともありますかね。

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   ここまで4358文字、なっが(笑) まあそれだけ好きだったってことで、ここまで目を通してくれた方、有難うございました。でもまだまだ話せることはありますね。追記したくなったらどうしよう(笑)

 

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あとたった一つの努力

  一昨日書いたブログ、『あの頃、君を追いかけた』についての記事、この記事に書かなかったことがあります。それは、2回目を観そうだな、と思ったから、その時に書こうかなと思っていたこと。ただ、初見としての感想を持つ今、それを残しておこうかなと、思います。

 

  今から書くことは、ちょっとばかりかしこまって言うと ”考察” 。僕が初見で思った、この作品のメッセージの話をしたいと思います。

 

  この作品を観た・観てないに関わらず、自身のイメージを大事にされる方は、この先、各々ご配慮くださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  『あの頃、君を追いかけた』、「あの頃」が示す ”過去” も、「追いかけた」が示す ”過去” も、どちらも満足し振り返る過去ではなく、過去という言葉が示す「過ぎ去る」胸苦しさを表している、非ハッピーエンドの作品。非ハッピーエンドである目の前の繋げられなかった世界、ハッピーエンドである繋げられたはずの世界。その境目がなんだったか、そこに想いを込めた作品、そう思います。

 

  その境目、雨の中立ち去っていく浩介を引き留められなかった真愛、真愛の言葉に相対し真愛の前から立ち去ってしまった浩介、その場から離れず涙する真愛のその涙を拭えなかった浩介、このどれか、いやどれもが境目となった行動なんじゃないかって思わされます。でも、僕はこの行動自体がこの作品そのもののメッセージではないと、思いました。

 

  真愛が浩介と別れた理由、それは「不安」でした。不安って、その物事に触れて入っていったときに、初めてその物事に対して持つ感情です。そして、その物事に求められるいる分に達しない分がそのまま不安になる、と僕は思っています。だから、やったことも無い、知りもしないことへの不安って、それを回避する以外に消えることは無い、そう考えてます。入っていく物事が「人」だったとき、それはその人に深く入っていこうとしたとき。その人に対して不安感を憶えたら、それはその人のことを知れていない。その人のことを知れていなければ、不安になる。真愛は知られていない自分のことに対して不安になった、だから「自信がない」が理由になってしまったんだと、僕は思います。

 

  浩介と真愛は、お互いにある問いかけをぶつけ続けます。「勉強、数学を学ぶことに何の意味があるのか」「格闘技、人を殴ることに何の意味があるのか」これは、浩介が真愛を、真愛が浩介を知るための問いかけ。初めから、二人はお互いのことを知ろうとしていたんです。

 

  浩介は真愛を知るために、数学の勉強を頑張った。真愛は浩介を知るために、格闘技の試合を見に行った。でも、真愛は結局、浩介のことが分からなかった。人を殴ることの意味は、結局分からなかった、僕はただこれだけのことじゃないんじゃないかなと思います。真愛が不安になる理由、数学の勉強を通じて、自分のことを分かってもらえたかと思っていた浩介が、私に対して選んだものが、結局分からなかった格闘技だった、そうなんじゃないかなぁと思います。この描写は直接出てはきません。その代わりに使われていた言葉、それが「幼稚」。真愛の「不安」に対する投げかけが「幼稚」なんじゃないかなって、考えているとそう思います。

 

  最後に、これがこの作品の答えだなと思ったシーン。浩介と真愛が別れた後、陽平が真愛に詰め寄って発したこの言葉。「もっと知ってもらうために話したい」。この言葉を受けたときの真愛の表情、そしてこのシーンそもそもの存在意義、あぁこれなんだって思いました。「相手を知り、お互いを知る」だけじゃないんです。

 

  お互いが望んでいた世界に繋げるためのあとたった一つの努力。これは浩介がやらなければいけなかったこと、だけじゃない。真愛もやらなければいけなかったこと。どちらかがこの努力をできていれば繋がった世界が目の前にあったかもしれない。もちろんどちらもこの努力が必要だったかもしれないけど、でも、必ず必要だったあとたった一つのこと。

 

この作品のメッセージは、

「大切な人に自分を知ってもらうこと」

これなんだなって、思いました。