深川麻衣卒業
どうしても記したい内容なのですが、Twitterに書くようなことでは無いと思ったので、こちらに記してみます。
深川麻衣という個性
私が思う、深川麻衣の個性はこれです。
「人を表面でしか見れない」
おそらく、過去2回の乃木坂46時間TVを見れば、同じ考えを持っている方もいらっしゃるかもしれません。
この表現が最もストレートです。ただ、あまり快く捉えられる表現では無いかもしれません。
長所と短所は表裏一体。言い方を変えるとこうでしょう。
「相手を、見たその表面で100%感受できる」
「表面”で”」と表現したのは、誇張かもしれませんが「裏面は0%」という意図です。
ではこの個性によって、なぜ愛されるのか。
ひとつは、「裏面が見れないから、自身の行動も裏を含まない表の側面のみになる」から。
裏を勘ぐってないから、裏を勘ぐってるように見えない、ってとこでしょう。だからこそ、身も委ねられる部分もあるのだと思います。
もうひとつは、憶測の範囲になってしまいますが、「表面を見抜く力が高い」から。
人は、悩みや落ち込みは、深層心理で隠そうとしてしまいます。それを癒やすための、カバンのチョコ、なのかもしれません。また、46時間TVでの『乃木坂のうたといえば』の『ぐるぐるカーテン』は、他メンは紅白曲だからとか、ライブの最後でやるから、とありましたが、実は真相を捉えてるのかもしれません。
深川麻衣という存在
話題を「存在感」に転換します。
私が思うに、乃木坂46が失って対外的に痛手になるメンバーは、上位3人として、白石・生駒・西野、と考えます。
彼女らは、乃木坂46の”柱”です。外から崩れるわけです。
反対に、内的に痛手になるメンバーは、橋本・高山、次いで深川と考えます。
彼女らは、乃木坂46の”土台”です。中から崩れるわけです。
(深川を本文章のテーマとしながら、私の主観では、橋本・高山と深川の間には差があると思っています。アンダーでの永島もここかもしれません。)
この差は、個性(長所)が対外的であるか、対内的であるかの差と考えています。
対外的な個性は、「一目でわかる」、対内的な個性は、「一緒にいるほどわかる」。
今回の、深川卒業に対するプロモーションに疑問を持つ人や、半分、内に突っ込んでるヲタクがそれ以上に盛り上がるのは、これに引っかかるからかもしれません。
深川麻衣という人間
深川は、昨年の全国ツアーの「乃木坂らしさ」で、この歌詞を挙げています。
もしもやり直せるならどこまで巻き戻そうか 君と初めて出会った日それとも好きになった日
私は、彼女がこの歌詞を挙げたことだけ、腑に落ちません。
もしかしたら、ただ表面的に好きなだけなのかもしれない。
もしかしたら、私が表面的な行動を取る彼女を、表面的にしか捉えられていないのかもしれない。
胸に秘めていたものは、単純なものかもしれない。複雑に大きなものかもしれない。
それでも、飾らない唯一無二の「乃木坂46の深川麻衣」が私は大好きです。
”別れ”がやっぱり寂しい
— ハッシー⊿ (@_haru63ngzk) 2016年6月16日
だって俺は「乃木坂46」が大好きだから
でもそれ以上にメンバーが泣いてる姿を想像すると泣ける
それは「深川麻衣」という存在の大きさの証