友達に会いに行くということ

僕は昨日京都に行きました。
何をしてきたか、というと、伊藤万理華の個展に行き京都を観光しある子の無敵券のみ持ち握手会会場に行きサユリストの友達と鍋パーティーをしてきました。
今はその帰路です。
詰まった旅だったので日記のように書き綴っていきます。


先に書いておきますが、僕のこの旅の目的は「サユリストの友達と鍋パーティーをする」です。


まず、なぜ京都に向かったかの話をします。
この日、京都パルスプラザで個別握手会がありました。
僕はこの日の券を取っていませんでした。
が、そこで挙がってきた話が鍋パーティーです。
「気の合う友達と鍋パーティー」、そこそこ普通の大学生を通ってきた僕はこれの楽しさを知っています。
ただそのために"京都に向かう"には、僕の中ではもう一つ動機が欲しかった。


そこに現れたのが「伊藤万理華の脳内博覧会」です。
なのですが、僕はこの博覧会に興味が無かったんです。
伊藤万理華という子は好きです。
僕の推し井上小百合の大切な友、戦友でもあります。
でも、"この子のために京都に向かう"は僕には足りませんでした。
「犬メン」、これも僕には足りません。
この舞台を見てないこともあり思い入れがほとんど無いです。
またこの博覧会での展示物のコンセプト、正直これも好みではないです。
僕は井上小百合の、子供のように笑う姿が好きです。
この博覧会は"京都に向かう"動機になりませんでした。


もうこうなったら最終手段です。皆が握手している間に観光してやろうと。
僕は大人になってしっかり京都に訪れたことが無かったのでこれは大きな動機になります。
多くの人が修学旅行で一度訪れたことがあるだろう日本の観光地。
その頃、いわゆる子供の頃の感覚と大人になって訪れた時の感覚の差を楽しむなんて話も京都観光にはありますよね。
僕はどうやら直感的に物事を捉える特質みたいなので、その楽しみも持っていました。
そうなると一緒に共有できる人がいるといいなという欲が出てきます。
そこで別日に脳内博覧会に行こうとしていたひとりのサユリストのお友達に一緒しようと誘い込み、なんと成功しました。半ば強引に。


こうして僕の握手遠征でないのに"京都に向かう"動機が完成しました。


夜行バスに乗り、京都駅に着き、碁盤模様の道をふたりで歩き、なぜか握手会の日に二日酔いでゲロゲロになってるバカな友達の家に荷物を置き、京都観光へ出発しました。


まず向かったのが北野天満宮、「伊藤万理華の脳内博覧会」です。
元から先に書いた理由があり、展示では楽しめないだろうなとは分かってました。
ただショートムービーが良いとは教わっていたのでその期待はありました。
…その期待がそこにはありました。「はじまりか」。
僕たちファンは彼女たちに"注いでいる"と僕はひとつ捉えています。
そのお返しが欲しいから注いでいるわけではありませんが、やはりどこかで求めている、貰えたら嬉しいと思っていると思います。
「はじまりか」のその言葉はそんな最大級の言葉でした。
僕の動機はここまで書いた通りでしたが、泣きました。
僕たちが"本当に一番"注いできた子にその言葉を言われたら泣き崩れるだろうなと思いながら泣きました。
伊藤万理華は言葉は正直上手くないです。ただ表現がとても上手いんです。最後の最後に表現者伊藤万理華に直に触れたと思ったら寂しくなりました。


その後は北野天満宮を歩き、龍安寺仁和寺清水寺と回りました。
これが京都だなって肌で感じたり、思ったより小さいなと感じたり、塔の高さを推しメン換算したり、何気ないですが楽しい時間を過ごしました。有難う。京都はまだまだ色んなところを観光したい。


そして京都パルスプラザに向かいました。
この日、僕が唯一持っていたある子の無敵券とは、伊藤万理華さんでした。
この話はツイッターに書いたものを転載します。

余計なことは話さず、僕の推しメンみたいにカラッとしようと、良い握手したいなと。この日唯一の握手でしたが願い通りの握手ができたと思います。それがこのタイミングでできたことは良かったなぁと思います。


最後にこの旅の目的、鍋パーティーに辿り着きました。
僕はどちらかというと"定義"にこだわる方だと思います。
友達、仲間、知り合い、僕はどちらかというと振り分けがちです。ただ間違いなく、"友達"と思える存在はできました。

繋がりの話は前回しました。それは僕が受け取っている話。今回は僕が渡したい話を少し。
僕は今26歳です。今よく集まってるサユリストたちがいますが、その中にいればほぼ間違いなく最年長です。
その中には不思議なようで当たり前ですが東京の人、名古屋の人、京都の人、同い年もいれば9つ下もいます。
僕も彼らから受け取っていますが、彼らもその彼らから受け取っていることを最近見えるようにしてくれます。

昨日、その場にその最年長が二人いて、じゃん負け買い出しの役になりました。
その二人、横浜と京都なのに出会ったのは名古屋、その二人が二人を結びつけた存在に出会った日は同じ日でした。凄い偶然です。そういう意味でもこの時間って人生で偶発的なものだと思ったら、それって得ないと損だよねなんて話したり。
これが僕の今回の旅の目的への動機です。
その損とは、僕が彼らに渡せるかもしれない機会を失うことです。


受け取ったら返したい。
僕の推しも至極同様のスタンスだと思っています。
僕もその気質が強いです。それがエゴと言われてしまったら敵いません。
でもこれって感謝ということなんだなと思います。
感謝って相手がいないとできないんです。
僕が友達と思った人には、僕を友達だと思って貰えるよう渡したい。僕が繋がりを受け取った人には、僕が彼らの中の彼らになれるように受け取って貰えるよう感謝を返したい。そう思っています。
僕は昨日一日とても楽しく幸せでした。感謝は幸せに繋がるのかもしれませんね。
だから、そんな幸せな機会を失いたくないなって思っています。