あの頃になる今

  僕は映画をまったく観ません。それは映画館でもDVDでも。それが、僕の大好きな「乃木坂46」に関わっていても、大きくは変わらない。

 

  僕は今日、『あの頃、君を追いかけた』という作品を観ました。感じたこと、想ったことをどうしても外に放り出したくて、今、映画館の外の公園でこの文章を書いてしまっています。

 

  冒頭の理由で、僕がこの作品を観に行く理由として積み重ねたもののうちの大きな一つに、「画面の中の ”今の齋藤飛鳥” を観ておこうかな」というのがありました。この発想、おそらく身近な飛鳥推しの声がどこか刷り込まれてるんでしょうけど、僕自身がこれを納得できます。

 

  そして観終わった今、やっぱりこれは正しかった。今、ただただ観に来てよかったな〜という気持ちになっています。

↓ツイートしちゃったのでコピペ

『あの頃、君を追いかけた』、今の「齋藤飛鳥」を追っているなら絶対に観てほしい。今の彼女は、今しかいない。それがそこにある。だから、彼女の先がどこまであるかは僕らには分からないけど、今の彼女がそこにいるから、そこにいるこの先の彼女も、追いかけられたら良いなと、思うような作品でした。

  彼女、齋藤飛鳥は20歳。”画面の中の人たち” からしたら、今見つかる、にしてはこれでも少し遅いかもしれません。でも、齋藤飛鳥の「圧倒的な今」を見るには、この作品はこれ以上も無いかもしれないと思い切れます。そして、画面の中の彼女、がこれから先も続いてくれるとしたら、この作品は飛鳥ちゃんを好きな人たちにとって「あの頃」にしてほしいなって、そして、僕らにとって「あの頃」にしてくれるようにこれから先も続けばいいなって、その両面を、ただ感情的に思いました。

 

  客観性の欠片もない完全色眼鏡な主張かもしれませんが、彼女は宝だなぁと思わされました。彼女はアイドルであるから、すぐそこにいるように感じるけど、もちろん僕らの手は届きません。だから、僕らの宝を、大事に大事に扱われる宝になってほしいなって。これが、僕がこの作品を観に来た目的に対する回答となる感情です。この先も、そこにいる彼女を追いかけられたら幸せだなぁと、思いました。

 

 

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  ここからは作品に対する感想を少し。ネタバレ、どうしても出ちゃいます。すみません。許してください。ですので、この先、各々ご配慮くださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

  さて、僕が最初につけようとして、ネタバレニュアンスになるのでやめたタイトルはこう。

 

「繋げられたのに繋げられなかった世界」

 

  理系の性なんだと思いますが、僕は合理性を求めてしまう方の人間だと思います。「お互いが良いと思ってるなら、その形になるべき」なーんてことも思ったりしちゃいます。でも、世の中、合理的にうまく噛み合うことなんて、実はそっちの方が少ないかもしれません。そんな世界、そんなストーリーが繰り広げられる。それがギュッと詰められている、というより、じわじわと飲み込んでいる、そんな作品だった気がします。

 

  僕の好きな飛鳥ちゃん推しの感想ブログにこう綴られていました。(なおさんごめんなさい!)

水島浩介は、そんな多くの人が経験したことがある甘酸っぱい思い出を、僕達の代わりに体現してくれてました。

だから彼に感情移入して、そして尚更早瀬真愛を好きになる事が出来た。

  この作品は、山田裕貴くんが演じる主人公の水島浩介に心が寄り添っていく物語になってると思います。それもじわじわと。それが出来ないと、良かった、とはならない作品かもしれません。そして、じわじわと浩介に心が寄り添ってくから、だんだん齋藤飛鳥演じる早瀬真愛に入っていける。ほんとこの通りだと思います。

 

  だから、浩介のとる振る舞い、真愛のとる振る舞いを見て、それぞれ胸が苦しくなる。歯車が回るトリガーって、実はいっぱいあるんです。作品の中で明確に ”そう” であったシーン。あそこだって、たった一つトリガーを引くか引かないかの差。それだけで繋げられたかもしれない。このシーンは明確に浩介の視点でしたが、真愛の視点でもそう語られるシーンが少しだけあります。両方の視点で語られるから、余計に苦しい。たった一つのことで、歯車は簡単に噛み合わなくなってしまう。それが本当に大事な歯車、でも。

 

「一番最初に伝えたかった」、これは第1志望の結果を伝える時間、これもそうだと思います。作品内の結末には直接関係ないとは思いますけど、僕はこのシーンが好きでした。「一番最初」に「伝える」、これの意味。だからこそあのシーンで、大事な人が弱ったときに、支えられる、意味のある大事な人になりたいなぁと、真愛が真愛で、それが等身大の飛鳥ちゃんだったからこそ、思わされました。

 

  気球を上げたとき、これも一つ。真愛の言葉を遮って浩介が言った「まだ好きで居続けたい」、痛いくらいわかります。でもこれが、「女は先に大人になり、男はそれに気づくことがない。」なんだろうなって。回ってる歯車を外したくないとき、男はトリガーを引かないというトリガーを引くんですよね。それもまた ”幼稚” なんだと、思います。

 

  どれもが誰しも後から分かる、繋げられなかった理由。全てにきっかけがあって、でも繋げられる結果はどこか一つだったかもしれない、そんな理由たち。それは分かってるのに、それができない、やれない。目の前にある繋げられたはずの世界と繋げられなかった世界。それでも幸せを願うのは、精一杯追いかけた証として、あの頃にしまい込むこと。そうできるように、なりたいですね。