想い出の力

  公開日から何日経ったのでしょうね。Documentary of 乃木坂46「いつのまにか、ここにいる」を見ました。その感想を握手会前に少し夜更かししながら、思ったことを書いていきます。なんか乃木坂に対して思ったことを書き出すのって久々だなぁという感じがしてます。

 

  いつまで映画が公開されてるのか実はよく知らないんですが、ここから先はネタバレもあるかもしれないので、各々配慮くださいね。

 

 

 

 

 

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  さて、この作品、どう始まるのかなぁと思っていましたが、監督目線の字幕から入りました。正直これ、めちゃくちゃサムイなぁと思いました。この作品は乃木坂46の形を収めるものであってほしい、としたら監督の主観や構成作り中のプロセスとか観る側にはいらないんですよ。見続けた先に、こういう流れで作られてたんだって気付けるくらいが良い。なので最初から表に立たれて興ざめって感じでしたね、僕は。あとついでに先に言っておくと、無理やり章立てとして構成してましたけど、そこまで強引にしないと構成作れないんだって思いました。使う場面、シーンも時系列に流れる割にはコロコロ変わってつまみ食いみたいだし、字幕もほんとにそこか?って思うとこもあったし、全体的に残念だなと思いました。まぁあんまりブーブー言っててもしょうがないんで、乃木坂46に話を向けていきます。

 

  この作品は西野七瀬齋藤飛鳥にフォーカスされています。グループを語るときに、そのグループのキーパーソンを主軸にすることが、これはなんら悪いことと思いません。むしろその方がまとまっていくと思います。直近の乃木坂46は、明確にこの2人のストーリーが主軸にあったと思います。なので、この2人が軸に進んでいくことはなんら不思議じゃない。そして西野七瀬にフォーカスする以上、時系列順に話を進めざるを得ないのはしょうがないかなって思うしかないです。

 

  で、でですね、皆さんがすごく特定の人にフォーカスしていることに気になってしまうのは、本来、キーパーソンを引き金にして、今の、その時の乃木坂46が示される、という話の形がドキュメンタリーだと思うんですよね。この作品はそこに話が進まず、西野七瀬齋藤飛鳥へのフォーカスやシーンのカットがその子たちだけのストーリーに収まってしまう、というのがすごく多く感じてしまう作りになってるからだろうなと、僕はそう感じました。飛鳥の同窓会のシーンなんて丸々それだと思います。西野は基本西野自身のコメントで進んでいきましたけど、乃木坂46に紐着くコメントだけ残すとするともう少しカットとして減っていた、必要の無いところってまぁまぁあったと感じます。

 

  その中で、西野七瀬与田祐希齋藤飛鳥大園桃子の2つのペアのストーリーはすごくその感覚の流れであって、グッときたと、僕は思うし、皆さんも感情的にそう感じてるんじゃないかなぁと思います。

 

  西野はキーパーソンと言えども、今回たまたま ”旅立つ人” というキーの役割も持っていました。与田は、キーパーソンである西野の受け継ぐ先。与田は乃木坂46の核であった西野と偶然巡り会い、西野が持っているもの、だけじゃなくて、その存在自体を受け取れる場所に立てた。与田は端から見てもいっぱいいっぱいだし、自分でも足りてないんだなぁと思ってるんだろうけど、でも自分が今その場所にいることを西野七瀬という存在から受け取っているんだろうと思います。西野七瀬を引き金に、与田祐希をコトバにして、乃木坂46を示す、これがあったから与田祐希のストーリーはすごく入って見れたんだと思いました。与田はすごくいい子だなと思います。目を見開いてボロボロと涙を流せる感性はすごく惹きつけられました。

 

  飛鳥は今回、今の乃木坂46としての最大のキーパーソンです。ただ、飛鳥がそのまま乃木坂46を示すということがすごく多くない。それを逆に大園桃子が引き出していたというのも、その関係もあって今回ファンみんなが一番心に染みたシーンになってるんだと思います。「大園先生はすごく難しいんですよ」と飛鳥は言ってました。この言葉はそのまま、ここでは掘りません。そんな大園桃子が言った「乃木坂46も、悪くないなと思いました」という言葉、これは ”私もこのチームでありたいと、心からそう感じた” という意味合い。それにストレートに反応する飛鳥。こここそ、2人が ”乃木坂46という存在の証” で共鳴し合った、乃木坂46というチームに対する示しなんだと思います。こういう感覚は言葉にしようが無いからズバッと言えないんですが、そういうことなんです。このシーンも、齋藤飛鳥を引き金に、大園桃子をコトバにして、乃木坂46を示した、その意味付けの最たるシーンがここなんだろうなと思いました。齋藤飛鳥が何かを思っただろうその中身はまったく見せません。でも大園桃子齋藤飛鳥に何かを思わせただろうことは見させてくれます。おもしろいですよね、もっとそっと見ていたいです。

 

  この2つのペアは、時間の向きで言うと今と未来。そこに過去の味つけを加えたのが、西野七瀬白石麻衣のシーンだと思います。レコード大賞という成果は、過去からの積み重ねの意味なんだろうなと僕は思います。その積み重ねを大きく導いてきたのが紛れもなく西野七瀬白石麻衣レコード大賞はもちろん乃木坂46を示すトピックとしてめちゃくちゃ重要なエッセンスです。ただそこで、白石麻衣にフォーカスするのではなく、西野七瀬との関係性に白石麻衣を取り上げた。そこに細やかな構成は無かったですが、これもまた、西野七瀬を引き金に、白石麻衣をコトバとして、積み重ねの過去という意味合いでの乃木坂46を示した、そう思うと軽く見えて大事なシーンだなと思いました。

 

  なんとなくそうやって見ていたときに、やっぱりこの子はそのまま乃木坂46だなぁと感じちゃうのが、秋元真夏高山一実、でしたね。こうあまり詳しくない人が密着しても、乃木坂46の「心」は秋元真夏高山一実であり、「体」は西野七瀬齋藤飛鳥なんだなって、そうだよなって思いました。乃木坂46の心と体。西野や飛鳥の発言って「心」側ではないんですよやっぱ。逆に、秋元や高山の発言って「体」側ではないんです。そうやって役割がしっかり分かれてて、それはポジション的にも鑑みられてたりするんだろうな〜とか思うと、すごく出来上がったチームだなぁと感じます。それはどう引き継がれていくのだろうなとか、思ったりしました。

 

  桜井は「このグループに留まってるのは想い出と好きな人と一緒に過ごすこと」と言ってました。僕はこの「想い出」という言葉がすごく残りました。秋元は「卒業がある度に次に卒業する人のことが心配になって悲しくなる」って言ってましたね。秋元の想いも、想い出を作っていった人がいなくなる度に薄れていってしまう、という誰しもが感じたことあるネガティブな感情だと思います。この作品は卒業、ある意味未来側を軸に引きだそうとしていたんじゃないかなって感じます。なのに、メンバーから出てきた言葉は「想い出」。狙いとは裏に出てきたから、余計に際立つ過去側のメッセージ。すごく等身大だし、仲間が仲間として大事にしてきたはずとして出てくるメッセージだから、すごく大きな意味を持つと思うんですよね。

 

  作品の中でも明確に言葉にされていましたが、乃木坂46はもう ”出来上がったグループ” だと思います。だからこそ、この作品が伝えたい、今の乃木坂46を示す想いって「存在」と「想い出」なんだなって、僕は思いました。存在とは、これから先という未来に大事に形守っていきたい乃木坂46というチームの存在、そして過去を積み重ね、未来を託すメンバーという存在。想い出とは、乃木坂46というチームの形そのものである過去からの積み重ね。出来上がったグループだからこそそんな両側の意味を伝えられるし、伝えたくなったんだろうなと、そんな風に思いました。

 

  この作品で、生田絵梨花が登場するシーンはすべてこの意味合いが隠れてるんじゃないかと感じます。生田絵梨花のストーリーが最後にある意味、上記の秋元の発言に対して返した「まだがんばるよ」という言葉、それは乃木坂46にある「存在」と「想い出」という力、それをコトバにしたのが生田絵梨花だったんだと思います。

 

  どこでどんな活動をしていようとも、いつのまにかここにいる、その ”ここ” とは そんな想いがかたまった ”乃木坂46” なんだなって、そう思いました。

 

 

 

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また今回も長くなりました。ここまで読んでくださった方、有難うございました!やっぱり僕はシンクロニシティが大好きでした!シンクロニシティという曲がつくった乃木坂46乃木坂46というチームがつくったシンクロニシティという曲が大好きです!