日向坂46 5thシングルヒット祈願の話

  ちょっとツイッターじゃ収まらなかったので少しだけ。今回のヒット祈願に賛否がすごいあって、楯突いている人がとてもいる話。僕の結論から言うと、今回のそういう人たちは「メンバー自身がどう思ってそうか」を全く考えてなくて、異を唱えることにかっこいいと思い込んでる人なんだろうなと思ってます。

 

  過労が心配とか怪我が心配とか、それはとても正しくて、あっていいものだと思います。よくわからないのが、精神論がどうとか古めかしい日本の部活感とかのことを言っている人たち。確かにそれ自体がすべての事において当て嵌まらないとは思いません。例えば日向坂が行っていたヒット祈願の一つ、バンジージャンプ。僕はこれには全く好意的ではないです。見ていて胸に響くことがまぁありません。その理由って、これをチャレンジさせられる人に、「この頑張らなければいけない機会の先に期待がない」ことがわかってしまうことが全てです。中には、”バンジージャンプは世界が変わる” 的な先人の言葉に期待をするかもしれませんが、そんな人はわずかだと思います。だからこれは精神論の押しつけだと感じます。

  もう一つのヒット祈願、今回のものとよく対比に出されていた駅伝、僕はこれには好意的です。確かに素人がそこそこにやるものではないものであったかもしれません。でもこの駅伝にはメンバー自身が「この頑張らなければいけない機会に期待していた」と思うんですよ。”たすきをつなぐ” ことでメンバー同士の絆が増すとか大きくなるとか、つないで成し遂げる、一緒に成し遂げることでさらに一段深い仲になれるとか、駅伝にはそういった期待が添えられていたと思います、というか想像できると思います。だから、渡邉美穂柿崎芽実の背中を支える瞬間や、リタイアするんだろうと思った小坂菜緒がゴールしきったときに、すごく感動しました。それがあるんだったら、技術とかスキル云々ではない根性だけの機会かもしれないけど、それは彼女たちが ”何かを得る” ためには不要ではないことだと僕は思います。

 

  今回のチアリーディングも同じです。全員ではないかもしれないし、今現在も根性で成り立っているのが実態かもしれないけど、メンバー自身が「この頑張らなければ行けない機会に期待している」んじゃないかと僕は思います。チアリーディングというものがアイドル活動に対して、全てがジャストフィットではないかもしれないし似て非なるメンタリティのものかもしれないけど、スキルなのかメンタリティなのかどこか何かが通ずるんだろうと、アイドルではない僕らでさえ期待できるものであることがまず本当の全てです。そして、自分が成し遂げること、みんなで成し遂げること、どちらも同じバランスで存在していることがチアリーディングの良さだと見ていて思いました。人によってウェイトは違うかもしれないですけど、そのどちらかに期待できることは大いにあるだろうと思わされます。

 

  みーぱんが泣きながら場を外したのって、私以外もみんながこんなに大変な思いをしているのに「この機会に期待できるものがそんな思いに達してない」、だからやめよう、とか、彼女はそんな捉え方ができるのでそういったところもあったんじゃないかと思います。でも立ち直しました。それは先生の与えた言葉は少なからず存在していると思います。精神論って結局、人が何かを得て変わったり進んだり新たなものになるときに絶対に必要な要素です。それが然るべき場で然るべき相手なのか、それが間違ってさえなければいい話なんです。僕はこのチアリーディングは然るべき場になるものと思います。先生がダンスを一から考えている以上、使える時間に対して間に合うレベルのものを与えているはずです。そして、日向坂46のメンバーはこのチアリーディングというものに対して然るべき相手といえるポテンシャルだと、先生は必ず理解しているんだろうと思います。ファンは成功しても失敗しても讃えることをすると思います。でもメンバーそれぞれが、この頑張らなければいけない機会を達成して、期待していた何かを得た達成感を少しでも感じる機会になったら、やらなかったときよりも最高にいいコトだと思います。楽しみですね!