離れていくほど薄れていく
最近、推しが卒業したときに、ぽっかり空いた心の穴を誰なら少しでも多く埋めてくれるか、ってことを考えます。
「卒業すること」って僕は普段あんまり言わないようにしてます。卒業することを”前提に”話しはじめ、伝え合うことって無駄だと思ってるからです。でも無闇に話さないだけで考えはします。だって”その時”はほぼ必ず来るし、その準備ってやっぱり自分の中であるに越したことはないんです。
僕は僕の推し、井上小百合が、今本当に本当に好きだし、今が楽しくて仕方ないし、可能な限り会って、見ていたいと思ってます。それでも僕は、「乃木坂46の」という枕詞を外せません。
おそらくこの言葉が外れたら、僕は今よりは少し心を遠ざけるだろうし、僕はまだまだ”乃木坂46が”好きだから他の心に近づいていく、そんな気がしてます。だから冒頭のようなことを考えたりします。
この言葉が外れたら必然的に心は離れていきます。直接会える時間が当然減るからです。直接会えるというシステム、ほんとに凄いですよね。心を近づけられる事って今の世ではほんとにたくさんあると思います。たくさん話すことも大事ですよね。でも、「会う」、より勝るものは無いと思ってます。
だから、会える機会が減ったら、こんなに好きだった彼女のことも少し遠くに置くんだろうなと思います。
人は、心が離れていくほどその人のことを薄めてみるようになります。勝手に薄まっていく、は自己都合。と言いたいとこですが記憶はそうなってくれない、半々という事にしときましょう。でも僕は、それが良いと思ってます。思うようにしてますという言葉の方が良いかもしれません。
風化って言葉がありますよね。僕はこの言葉のイメージのように思ってます。やっぱりマイナスに思いながら過ごす時間は少なくしたいなって思うんですよね。薄まらないように耐えようとすることって、やっぱり僕はマイナスに捉えるんです。だからどんなに溜まったプラスでも、気のないうちに減るのならまぁ良いかなと思うんです。
僕はそんな風に生きてきました。だから井上小百合という子に対しても、そうしようと思ってるしそうなると良いなと思ってます。
溜まったプラスって、減ることを意識的に感じていようがいまいがゼロにはなりません。その残ったプラスが、想い出ってものだと思ってます。
これは何度か言ってるかもしれないんですが、というか僕の人生観なんですけど、事実ってなくならないんです。これは想い出も一緒で、あの時ああしたっていう記憶は薄れていくけど、あの時楽しかったなぁという事実はなくならないです。
だから、いつか今のプラスがなくなっていく時が来ても、あの時もあの時も最高に楽しかったよなぁって、少しでもたくさんが残るように、今を過ごしています。