終わることって楽しいこと?

皆さん、モバメ、取ってますよね?井上小百合ちゃんのモバメ、量もそこそこ、分量もそこそこ、面白可愛いもあればお真面目もあって、本当にオススメします。そんな彼女の昨年の大晦日に来たモバメについて少し。

 

「終わり」という件名で届いた一通。終わりは「楽しみ」であるという彼女の考えが綴られています。この考えについては、彼女自身以前も言っていたので勿論理解しています。ただ、この一通に書いてあること、その内容はたまたその”書き方”が僕は好きじゃありませんでした。こうは言いますが、同調されるのは一応本意ではないので、その理由は少しだけ。”井上小百合が大好きで彼女のことをよく知っている今の僕”にとって、その捉え方が「人として好みのタイプでない」ことと「僕が好きな井上小百合とは違和がある」ことです。これって前提の視点も大いにあるし、そもそも個人の価値観の話になるので、正直どうもこうもない話だと思います。直接伝える気もさらさら無いので、どうしようとも思わないですし、それを含めても彼女のことは大好きです。少しフォローするような書き方をすれば、彼女の捉え方は演者思想なんだろうなとは思います。

 

そう。これって個人の価値観の話なんで、人に話してもしょうがないんですよ。「俺ってこう考えてるぜ」って伝えるだけで、「だからどう?」に発展しないんです。でも今、僕は幸いにもそれを伝えても良いかなと思える友達がいます。聞いてくれるのは勿論なんですが、「それは違う」と言ってくれる正反対の分野の同世代、「僕は違うんですけど」と話してくれる9歳年下、「ハッシーさんだからじゃないんですか」とぶつけにくる女の子、そんな友達で、これが僕にとって凄い面白い。議論になるかどうかって、その議論の中心があることとお互いの関係性があることの組み合わせだと思ってます。前者はほとんどイチゼロかもしれません。ただ後者は確実に幅があります。価値観を議論できる関係性ってどの位置まで上がってるんですかね。そんな一昨日の全握後の飲み会の話でした。

 

議論の中心が『井上小百合』では無いこともたくさんあるんですが、この話は『井上小百合』でした。最近、井上小百合が大好きな人たちと、その人たちが好きな人たちといつもいて、そんなことを繰り返しているので彼女のことが増々好きになった気がします。一昨日の全握は今年始めだったこともあって、最後に「今年も好き!!」なんて言ってしまいました。全握だから尺が短いってこともあってですよ、はい。まあ我ながらバカみたいに気持ち悪いとは思ってますけどね。でもそういう伝え方をしたいな~なんて思ったりもして。

 

最後に、僕はやっぱり終わりは「寂しい」です。それ以外の感情って「寂しい」を覆いかぶせるための理由を作ってるような感覚があるんですね。慣れってその理由作りの慣れっていうような感覚もあって。これが僕の価値観です。

 

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(おまけ) 僕を乃木坂メンバーに当てはめると橋本奈々未なんですって。僕もそう思ってました(笑)。このネタ、おすすめですよ。僕はこういうの多分めちゃくちゃ得意なのでめちゃくちゃ楽しかったです。