”タイトルの装い”
これもTwitterの延長線上です。
今回のお題は、「伊藤万理華の写真集」に与えたいタイトルは?ただ、言葉自体、は考えません。「ひらがな」「カタカナ」「漢字」、それぞれ単独、2種3種の組合せの中でどれを与えたいか。
かなり主観的で直感的な題です。
僕は今回、先に答えがあって帰納的に理屈を埋めてます。
「エトランゼ」、異国人というフランス語だそうです。これがあんまりしっくりこなかったのが初めです。”伊藤万理華に対するものとして” は安直だなと思いました。
僕の答えは「3種混合」です。つまり、ひらがな、カタカナ、漢字、全てを混ぜ合わせたタイトルを伊藤万理華には与えたい。
そもそも現状、混在している、というのは、それぞれが何らか相反していて、存在する意味があるからです。だからなくならない。それ相応の特質をもっているからです。
井上小百合は「ありがとう」を必ず「有難う」と記します。どちらがメジャーでしょう。でも、そう記します。こんな風に使い分けまでしてるわけです。
僕はその差をこう考えました。僕の思考のベースは基本的に二者比較です。
『ひらがなとカタカナ』
緩いかわいさと堅いかっこよさ
『ひらがなと漢字』成長の差、こどもと大人
『カタカナと漢字』外国と日本、外側と内側
まぁあまり詳しい知識は無いのでダラダラとは語れないんですが、根底は捉えてるんじゃないかと思います。
タイトル、色んなものに付きますよね。このブログにだって付いています。ただ、この3つの軸があったときにそれを最も「表現しやすいのが写真集」だなと思ったんです。そして伊藤万理華の写真集を知ったとき、それを如何様にも扱えそうだなと思ったのが伊藤万理華だったんです。
そんなこんなで僕は、その三位を混ぜ合わせたい、混ぜて不自然にならないのが伊藤万理華、伊藤万理華ならそこに自ら意味を込ませられる、と、肉付けはこんな感じです。
そんなに長く書くつもりじゃなかったのに長くなっちゃったので少し蛇足を。
当たり前ですが、日本人が意識して使うのは漢字です。そして最も出現するのはひらがなです。また言葉を組み立てるとき、格助詞の「の」は多くの場合出現します。僕は「の」はとてもひらがな的で好きですね。なんで、「ひらがな」と「漢字」の2種の組合せが最も多いのは自然です。だから、「カタカナ」や「漢字」の単独で与えられたタイトルは特別意味を持たせられてる、そう思います。『転調』『潮騒』『パスポート』、、、
さて、今回の友達たちの答えはこちらです。主観的直感的な題なので載せるだけ、言及はしません。
インスピレーションだわ… pic.twitter.com/nSOhBrEvZ1
— 曹長 (@nyaaaan1214) 2018年1月25日
男手は漢文のことで昔はよく公的な場で使うものだったから(男の人が書くもの)「堅い」イメージって話をしてて、女手は日記など私的なものに使うものだったから(女の人が書くもの)「柔らかい」イメージって話のつもりだった。んで、カタカナってその中間点にいて。
— 曹長 (@nyaaaan1214) 2018年1月25日
曹長さんのような回答のあとに中身薄いこれ出すのそれなりに恥ずかしいのですが書けました。あと今回のに関してはがっつり曹長さんの考え読んじゃったし、おもしろかったのでがっつり反映されてるかもしれないです。 pic.twitter.com/15suMBx80L
— したかさん② (@722_831) 2018年1月26日