えんえん

NOGIBINGOを見たんです。
普段は間違いなく寝てるし、この数回も推しが出てましたが見てませんでした。
今日はたまたま同じ推し同士の友達と長く通話をしていたんです。
それでNOGIBINGOを見たんです。
見た今、胸が少しドキドキしています。
だからちょっとだけ発散しようかなと。

 

僕今日の朝、ちょうど北野日奈子の話をツイートしていました。
北野推しには本当の意味で支えられる力を持った人っていなかったのかなって。
少しの誤解が無いようにいうと、これはボリュームの意味で言っています。
松村の時はそういう人たちがいて乗り越えたって聞いてます。

 

じゃあなんでその話をしたかというと、僕の推し井上小百合推している人たちは
そういう力を持っている人たちだよなって思えたからです。
あのレーンにいる人たちはそうだよなって、なぜだか思えました。

 

僕の友達が井上小百合という糸が繋いで、という表現をしていました。
僕も、安っぽい言葉ですが、今ある繋がりが全て彼女から始まっているという想いは勿論あって。
だからその表現が羨ましいとかではなく、単純に良いなって思いました。
で、その糸って、その先々だけじゃなく、彼女と僕らの間もちゃんとしっかり繋がってるなって思ったんです。
だから、なぜだかそう思えたんだなと思いました。

 

今日の詩はそれだったよねと思えます。
本人もそういう意味で見てくださいと言っていましたが、そんなこと言われなくても分かってたと思います。
僕は、年末に来たモバメの「一緒に笑って過ごそうね」という言葉が大好きです。
この言葉があって、今日の詩は、彼女からその繋がりを渡してくれているような、そんな気がしました。
そうやって分かりやすくしてくれるとこも、彼女を大好きなところです。

 

なんか端から見たら死にそうな文章ですね。まぁなんか言葉にしたかったので良しとしてください。
そういう気持ちにさせてくれることも、なんだか嬉しいなぁと思います。

どんな曲が好きですか?

僕はアイドルオタクじゃないんで、「アイドルは〜」って評価ができないんですね。曲の評価も同じで、僕は乃木坂の曲は「乃木坂の曲」として評価してます。

僕のその評価軸は「曲調」と「詞のテーマの乃木坂らしさ」です。シンプルに曲と詞なんですよ。
前者は完全に嗜好ですね。で、後者はざっくり言えば「淡さ」です。

僕はアイドルらしい曲が嫌いでした。いわゆるAKB世代なんで耳には入ってきましたがすが肌に合わなかったですね。
でも乃木坂で初めに好きになった曲はガールズルールです。初聴はアイドルらしい曲だと思った気がします。でもハマった。これは多分にMVによって作らされた印象なんでしょうが、この曲は淡さがたっぷり詰まってるんだと思います。アイドルらしいんだけど、アイドルらしくない気がします。

僕はある理由で文字に敏感な方だと思います。文字というか単語かな。とりわけ楽曲の詞を見聞きしているときは、感覚的に単語の“強さ“と“色味“を見つけています。

今、最も好きな乃木坂曲はサヨナラの意味です。断トツです。いつ聴いても震えます。
僕は卒コンには行ってません。更には橋本奈々未の卒業を最後の最後に余り好意的に迎えられてません。なので、そういう評価ではありません。

前にも少し書いてますが、サヨナラの意味という曲には色味のある単語が全く出てきません。
「躊躇してた合間に 陽は沈む」「見つめ合った瞳が 星空になる」での二箇所だけ。「陽」と「星空」です。共にDメロでの登場。狙ってるんですかね。良いですよね。曲全体がモノトーンから薄ら色がつく、非常に薄れた淡さがあるんです。

それでいてこの曲は詞中の言葉が強いんですよ。
「強く」「なれ」「未来」「始まりと終わり」「〜(したく)ない」「愛に変わるもの」
この曲は特筆してサビに意識されてる気がします。
なんでこれらが強い言葉かってのは長くなるのでやめときますが、言葉の強弱が感じられない曲はダラダラ聞き流してしまいます。この点で個人的に惜しいと思った最近の曲は、君が扇いでくれた、です。

詞と言えば、今めちゃくちゃひと夏の長さより…が好きで好きでしょうがないんですが、2サビの
「愛し合ったこの日々は 種の多いスイカみたいだった」
この曲の全体感の中でこの詞が書ける秋元康は天才すぎませんか?

そんなこんなで、結局サヨナラの意味の話ばっかりしてしまいました。きっかけはアイドルは〜って話題が最近近くにあったんです。で、俺乃木坂しかしらねーわってなったんですけど、何故か文字にしたくなった(笑)
皆さんは惹かれて好きになるアイドル曲はどういうとこですか?

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昨夜、19枚目シングルの選抜発表がありました。

私の推し井上小百合さんは念願の初福神入りとなりました。おめでとう。本当に嬉しいです。

彼女はずっと、僕たちに見えるように目標を示してくれます。そのうちの一つが”福神入り”です。折れかけたこともありましたが、こうして辿りついた事実が紛れもないものです。

目標という言葉。至極一般的なものですが、問題解決というフィールドの中に出てくる言葉です。よく言われるのが、「大きな目標のために、小さな目標を積み重ねる」ってやつですね。彼女を好きな僕たちは、彼女がまさしくこれを行っていると見ていると思います。時には尊敬という言葉を使う人もいるくらいです。彼女の最も大きな目標は、「人を笑顔にしたい」ですよね。これは全くぶれていないんじゃないかな。

ちなみに僕は大きな目標をたてることができません。これまでの人生でしてきてもいません。僕は正反対で、最大限の小さな目標だけを叶え繋げていって今の道を作ってきたタイプです。土俵が違うので比較もできませんし、どちらが正しいかもわからないので尊敬という言葉も使いません。でも彼女のことをシンプルに凄いと思っています。

「自分にないものに惹かれる」。僕はこれではないです。
「自分にあるものに共感する」。実はこれでもないです。
僕が彼女に惹かれたのは「弱いのに、強いところ」です。

ある方が「叶える力」に惹かれたと言っていました。凄くしっくりきましたね。弱い/強いって「力」の評価軸だなって。あるもの/ないものじゃなくてそれを生み出す原動力の様なんだと思います。そして僕はそれが強いも弱いも共存している彼女が好きなんです。どちらかを覆い被せるための両者じゃなくて、どちらも確実にいる彼女に惹かれているんです。

なんだかよく分かんなくなってきました。最近はあまり推しについての文章を書かなくなっていたせいかもしれません。

僕は小さな目標は、言ってくれても言われなくてもいいと思ってます。でも彼女は言って進んできました。推しの望みは望みになるし、推しの願いは願いになります。成し得ず終わるより、成し得て終わる方が望む姿です。それを知りたい。成し得る彼女だと思ってるからこそ、やっぱりちょっと聞きたいですね。

2016年を表題曲で振り返る

 今日は2016年12月31日、2016年最後の日です。私個人的には昨年より乃木坂46のファンになりましたが、この1年で乃木坂46に対する環境が加速していった年で、一喜一憂全てを含め非常に楽しませてもらいました。

 

 さて本題ですが、今年発売された4枚、「ハルジオンが咲く頃」「それぞれの椅子」「裸足でsummer」「サヨナラの意味」それぞれ表題およびリード曲を振り返ることで、2016年を振り返っていければなと思います。

 

 とは言いつつも、本当はそれぞれ発売毎にやりたかったところを出来ていなかったため、それぞれ簡単でも吐き出して今年を納めたいなというところの本心であります。ご興味ある方だけお付き合いください。

 

「ハルジオンが咲く頃」

 1曲目は「ハルジオンが咲く頃」。結果的に「1枚目の卒業センター曲」となってしまいました。センターは深川麻衣

 

 最年長とはいえ、卒業センターなるものの1人目が深川になるとは思っていなかった方は多いかと思います。そんな私達を元気付けるようなアップテンポな曲、また彼女に寄り添った歌詞が印象的な楽曲になりました。

 

 この曲の歌詞にはネガティブなワードがほぼ使われていません(過去記事に記述)。それ程にポジティブな楽曲。人が曲を評価するときは様々な因子の積み上げだと思ってますが、エコパの卒コンを境として前・当日・後で、それぞれ別の想いが乗って別の曲として存在するんだろう、それほどのパワーを持った曲だと思います。

 

 以前の記事で、私はこの楽曲に対してこのような事を述べました。

 この曲が目を見張る最も素晴らしいところはやはりここです。

やっと言える 大好きだよ

 この楽曲が、暗に”深川麻衣”に沿って作られていることはファンならわかります。すなわち、運営など上部の人たちの想いが乗ってます。ただ、ここの歌詞だけはそれだけでない。上部の人たちが想いを投げ、その想いをパフォーマンスする彼女たちが、ファンではなく”彼女”に対し乗せる。それも超どストレートに。そんな想いの連鎖が秘められ、彼女たちに与えることを許す、素晴らしい歌詞です。それほどまでに暖かい曲ありますか?

  この内容に関しては、時間がたった今でも間違っていないと思っています。

 

「それぞれの椅子」

 2曲目は2ndアルバム「それぞれの椅子」のリード曲「きっかけ」。14th選抜楽曲ですが、深川が抜け、センターは布陣通りの西野・白石のWセンターです。

 

 「それぞれの椅子」のパッケージ・衣装などプロモーションイメージは『青と赤』でした。混ぜ合わせると『紫』になるだとか、『透明な色』(何にも染まっていない)から『青と赤』に染まった、など色んな捉え方がありましたね。アルバムタイトルの「それぞれの椅子」からもそのようなメッセージが詰まっていると思われます。

 ただこの『赤と青』には更なる意味合いも含んでいるんですよね。それが歌詞中にも「信号」という単語です。

 背中を押す”きっかけ”なる促進力と一歩を踏み出せない停滞感、これを「青と赤で”進め”と”止まれ”を明確に示すモノである信号機」によって詞に表しています。これが還元された『青と赤』だとすると、「進むことと止まること、その象徴」といった意味が含まれていると私は考えています。偉そうに述べてますが、歌詞を見れば一目瞭然だよって方もいらっしゃいそうですね(笑)

 

  個人的なことを申しますと、私は乃木坂以外も音楽は聴きますが、1年で最も聴いた曲だと思います。私どうも啓発的なメッセージの強い曲が好きな様です。この曲の私の好きな詞はここです。

「流されてしまうこと抵抗しながら 生きるとは選択肢 たったひとつを選ぶこと」

「決心のきっかけは時間切れじゃなくて 考えたその上で未来を信じること」

 どちらも、自分の意志で選択を下すことの意義をうたっていると思っています。自分の意思が乗ってない選択って必ず後に後悔します。反省はしても後悔はしない様に。これが私の座右の銘です。

 

【追記】皆さん、この曲を初めて聴いた時どう感じましたか? 私は、 ”乃木坂らしい素晴らしい曲” 、だと感じました。乃木坂のファンであれば、多くの方がそう感じただろうと言い切れます。2016年の紅白披露曲として熱望された方も少なくないはず。

 後にも書いてありますが、この楽曲の作曲は杉山勝彦さん。”乃木坂らしさ” の最たる楽曲となり、紅白初出場披露曲ともなった「君の名は希望」を作曲された、秋元康先生も一目を置いている作曲家です。初聴でそう感じる楽曲ってただ事では無いと思います。杉山さんと結んだことも踏まえ、この楽曲が勝負曲であることは間違いありません。

 では何故、アルバムのリード曲に本気の勝負をかけたのか。「アルバムのリード曲」である以上、それ相応は理解できます。では、シングル3枚のビジョンが、ある程度はじめから2016年の結果を想定されていたとしたら。この2ndアルバムの1枚でしか本当の意味での勝負をかけられそうになかったとしたら。紅白選曲基準になり難いとしても、この楽曲に出会えたことが本当に有難く思えます。 

 

「裸足でsummer」

 3曲目は「裸足でsummer」。センターは齋藤飛鳥。輝かしい初センターになりました。

 

 この楽曲の価値は「齋藤飛鳥の存在」によって高まったことは乃木坂ファンの中では間違いないことだと思います。

 この曲のワンフレーズ目、

「いつもの夏と違うんだ 誰も気付いていないけど

 日差しの強さだとか 花の色の鮮やかさとか…」

ストレートに夏という単語だけでなく、日差し・花という色味の強い単語、冒頭から陽のイメージを全面に出しています。

 反面、センターの飛鳥のイメージは陰陽で言えば陰でしょう。飛鳥の良さは「飾らない姿」。若くしてクレバーなので言葉や振る舞いは選択されてのものでしょうが、それでも飾らない姿の中に子供のような明るさがあるから支持されている様に思います。一番先頭に立ったこの夏の期間、飛鳥の「ベースの陰・垣間見える陽」が楽曲の陽の面に対するギャップをどのくらい埋めたと受け取ったかが、この楽曲の価値になったと思うのです。

 

 この曲の価値は、なんだかんだ言われていた「HEY!」で完成されたようにも思います。ライブの感情が楽曲の価値に結びつくという点で、一体感のあるコールは最たるものになりますよね。公式コールが無かった場合を考えたら、やっぱりあったことで完成したなと思います。

 

 この曲の私の好きな詞はここです。

「自分の気持ちは隠したまま そう君といると素直になれる」

 2サビのこの詞の部分だけ、本当に勝手にですけど「あ、飛鳥だな」って思うんですよね。

 

「サヨナラの意味」

 4曲目は「サヨナラの意味」。センターは橋本奈々未、後に卒業を発表しました。2016年、2度目の紅白歌合戦披露曲になりました。

   

 正直、この曲に関しては言葉にしたいことが沢山あり過ぎます。ですが、今回は ”曲” に関することだけ…。

 

 この曲は「さよなら」をカタカナで表記することでも示すように、『別れ』にだけスポットを当てるように、そう作られているように思います。つまり、他の要素を隠して作られているわけです。この詞中に色味のある単語はほぼ出てきません。ほぼモノクロ色調の単語・文体で作られています。それほど平面的に作られているように感じます。
(唯一出現するのが、大サビ前の「見つめ合った瞳が 星空になる」の部分の「瞳・星空」だけ。この部分に関しては、詞としての盛り上がりのための使われかと考えています。)

 

 そんな中で、隠れているもう1つの重要なテーマは『出会い』。詞中にも単語としてちゃんと出てきてはいます。これに気付かれてない人は本当に気付いて欲しい。曲の印象は大きく変わると思います。出会うから別れがある。だから別れに強くなくちゃ出会いに好意的になれないよ。そんなメッセージが込められています。
(イントロが長くアウトロが短いところも、『出会いと別れ』のロジックなのかな~と思ったりもします。)

「もう一度君を抱きしめて」「僕たちは抱き合ってた 腕を離してもっと強くなる」

 抱きしめ合えることが ”出会えたこと” の象徴、腕を離すことが ”別れること” ですね。

 「もう一度君を抱きしめて」の後には、この楽曲の中で唯一格調の違う言葉が続きます。それが『愛』。

「守りたかった 愛に変わるもの」 

  初めて聴いた時は、何故この流れで『愛』という重みのある単語が出てくるんだろう。「愛に変わるもの」とはなんだろう、とずっと考えていた気がします。

 愛情は注ぐ相手が必ず必要となりますよね(ハルジオンのときも同じ論議がありました)。誰かとの『出会い』があって初めて『愛』が始まるわけです。そこで「愛に ”変わるもの” 」と続きます。つまり、『愛』よりもまず『出会えたこと』を守りたい、大事にして欲しい、「愛にも変えられるもの」は『出会い』なんだよ、と。『愛』という格調高い重いテーマと比較することで『出会い』を強調しているのです。それ程のテーマを裏に隠し持っているわけです。

 

 大サビでは、上記の2フレーズの間に次の詞が挿れられています。私はこの詞が本当に本当に大好きです。

「本当の気持ち問いかけた 失いたくない」

 ここまでの歌詞の展開は、「受け入れつつも、前に、前に進もう」となっているように感じます。もう一度君を抱きしめて、出会えたことを身に感じながら、最後の最後に溜めていた言葉を真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに放つ、その情景を想像したらグッと気持ちが高まらずにはいられないです。別れたくない、出会えたことを終わりにしたくな、誰しもが心の奥底では絶対に思っていることなのだけれど、言うに言えないまま前に進むための言葉に被せて隠している、そんな言葉なのです。そんなの、、、最後の最後に伝えられても、、、。

 この手段はハルジオンが咲く頃のものと同様だと思っています。”彼女たち” が ”彼女” に伝えられることが、この上なく素晴らしく暖かい。(だからこそテレビ尺でカットされるのは本当に残念でした…。)

 

最後に

 今年のカップリングの中では「急斜面」「光合成希望」「行くあてのない僕たち」「君に贈る花がない」が好きですかね。特に光合成希望について、下のツイートは個人的に面白いかなと思えたものです。

 

 それでも今年は、「きっかけ」「サヨナラの意味」が個人的上位2曲が確固たるものになりました。全楽曲含めてもそうなるかもしれません。この2つの楽曲、作曲は杉山勝彦さん。Twitterでも何度か呟いていますが、私の思う、この方が作られる曲の良さは『飽きない』ことだと思っています。この方の作曲楽曲ですと「私のために 誰かのために」も大好きです。全然飽きません。

 

 最後に、乃木坂46には楽曲も含め非常に元気づけられた1年でした。来年も、乃木坂46およびそれぞれのメンバーが、悲しいこと辛いことも楽しさ喜びに変えることができて、それぞれの行路を真っ直ぐ進んでいけることを願っています。そこに力添えなどとは言いません、加わらせて貰えたらなと思っています。

 

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君に贈る花がない

 16枚目シングル「サヨナラの意味」のType-Dに収録されるカップリング曲「君に贈る花がない」

 歌唱メンバーは、北野日奈子寺田蘭世中田花奈中元日芽香堀未央奈の5人。サンクエトワールによる2曲目の楽曲となります。

 

 私個人として、この5人それぞれが好きだ、というわけではありません。ただ、「サンクエトワール」というユニットに強い想い入れを持っています。やはり同じ背景を持ったユニットは良い、その背景が同学年や友情ではない熱いもの、というのが堪らなく心揺さぶられます。

 

 「君に贈る花がない」、初聴に印象に残ったのは「もうここには その花は咲いてない」という歌詞。『ない』という否定語は日本語の中でも受け手に非常に強いインパクトを与えます。
 タイトルの『ない』も同様です。ただ更にこれを念押ししているのが『が』という助詞。『は』との使い分けとして多少のニュアンスの違いはあるようですが、個人的に「濁音によるインパクト」をもたらそうとしているように感じます。

 

 この曲、もちろん初オンエアの時から好きになりました。曲調についても、前回の曲と異なりながらも、サンエトらしい音が残っている、と捉えています。ただそれ以上に今回も、サンエトにパワーを与え、それを乗せた曲なんだろうなと思いました。

 

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 フル配信がスタートし、歌詞も起こしてみました。が、歌詞を眺めて追っても、まだイマイチ腹落ちしません。他の方の意見も聞いてみたい…。ピンときたら追記しようかと思います。

 

深川麻衣卒業

 どうしても記したい内容なのですが、Twitterに書くようなことでは無いと思ったので、こちらに記してみます。

 

深川麻衣という個性

 私が思う、深川麻衣の個性はこれです。

「人を表面でしか見れない」

 おそらく、過去2回の乃木坂46時間TVを見れば、同じ考えを持っている方もいらっしゃるかもしれません。

 この表現が最もストレートです。ただ、あまり快く捉えられる表現では無いかもしれません。

 

 長所と短所は表裏一体。言い方を変えるとこうでしょう。

「相手を、見たその表面で100%感受できる」

 「表面”で”」と表現したのは、誇張かもしれませんが「裏面は0%」という意図です。

 

 ではこの個性によって、なぜ愛されるのか。

 

 ひとつは、「裏面が見れないから、自身の行動も裏を含まない表の側面のみになる」から。

 裏を勘ぐってないから、裏を勘ぐってるように見えない、ってとこでしょう。だからこそ、身も委ねられる部分もあるのだと思います。

 

 もうひとつは、憶測の範囲になってしまいますが、「表面を見抜く力が高い」から。

 人は、悩みや落ち込みは、深層心理で隠そうとしてしまいます。それを癒やすための、カバンのチョコ、なのかもしれません。また、46時間TVでの『乃木坂のうたといえば』の『ぐるぐるカーテン』は、他メンは紅白曲だからとか、ライブの最後でやるから、とありましたが、実は真相を捉えてるのかもしれません。 

 

深川麻衣という存在

 話題を「存在感」に転換します。

 

 私が思うに、乃木坂46が失って対外的に痛手になるメンバーは、上位3人として、白石・生駒・西野、と考えます。

 彼女らは、乃木坂46の”柱”です。外から崩れるわけです。

 

 反対に、内的に痛手になるメンバーは、橋本・高山、次いで深川と考えます。

 彼女らは、乃木坂46の”土台”です。中から崩れるわけです。

 (深川を本文章のテーマとしながら、私の主観では、橋本・高山と深川の間には差があると思っています。アンダーでの永島もここかもしれません。)

 

 この差は、個性(長所)が対外的であるか、対内的であるかの差と考えています。

 対外的な個性は、「一目でわかる」、対内的な個性は、「一緒にいるほどわかる」。

 今回の、深川卒業に対するプロモーションに疑問を持つ人や、半分、内に突っ込んでるヲタクがそれ以上に盛り上がるのは、これに引っかかるからかもしれません。

 

深川麻衣という人間

 深川は、昨年の全国ツアーの「乃木坂らしさ」で、この歌詞を挙げています。

 もしもやり直せるならどこまで巻き戻そうか 君と初めて出会った日それとも好きになった日

  私は、彼女がこの歌詞を挙げたことだけ、腑に落ちません。

 もしかしたら、ただ表面的に好きなだけなのかもしれない。

 もしかしたら、私が表面的な行動を取る彼女を、表面的にしか捉えられていないのかもしれない。

 胸に秘めていたものは、単純なものかもしれない。複雑に大きなものかもしれない。

 それでも、飾らない唯一無二の「乃木坂46深川麻衣」が私は大好きです。

 

 

 

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乃木坂46 楽曲参加データ(14th発売時点)

 14th発売時点で計95楽曲(94種+指望遠鏡アニメver)生まれています。二番煎じではありますが、気になったため軽いデータを取ってみましたので、共有して頂けたらいいかなと思います。

参加楽曲数

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 95楽曲中半数以上に参加しているメンバーは6名。
 
 トップは西野。ソロ曲4つというのが他と差をつけている要因です。
 2番手は白石。ソロ曲こそありませんが、少人数ユニットへの参加が圧倒的です。
 続いて、桜井・高山・橋本・松村。桜井は、少人数ユニットの参加は多くないものの、他の星からメンバー等の中人数ユニットへの参加が目立ちます。後3者は少人数ユニットへの参加が目立ちます。

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人数比楽曲参加数

 何時か何方かが行われていたのを見て、アイデアをお借りしました参考にさせてもらいました模倣させてもらいましたm(__)m

 楽曲の参加人数に対し、相対的な楽曲参加数を算出します。すなわち、ソロ曲なら1曲の参加、5人ユニットなら0.2曲の参加となります。

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 各発売期に在籍していたメンバー数の平均は36.73人であるため、平均値は2.59曲となります。

 トップは西野の7.58曲。ソロ曲4つの影響もあり断トツです。
 2番手は白石。少人数ユニット参加が8曲と断トツなことが以下と差をつけています。

 

小言

 皆さんもご存知の通り、これほどの存在感に反して白石にはソロ曲がありません。対して少人数ユニット参加画断トツ。本人がそれを望んでいる節があるのが影響しているのかどうか。
 そこで気になるのが、14th収録曲。「急斜面」という楽曲は白石ソロ想定の楽曲だったように思えますね。実際、音源を聞くと色濃い気が皆さんもされてると思うので、後出し感がたっぷりなので小言です(笑)。
 「遙かなるブータン」「憂鬱と風船ガム」のメンバーは、橋本・松村を除いて表題曲「ハルジオンが咲く頃」の”歌唱順のシンメ”で6人ずつに分かれています。西野ソロの存在も、「西野・白石でそれぞれソロ」であったとしたら合点がいく気がします。

小小言

 これから述べることは妄想です。根拠も何もありません。
 私は13thアンダー曲の「嫉妬の権利」が大好きです。この曲、実は固定化された選抜へのアンチテーゼの意も含まれてるんじゃないかと考えます。恋愛の曲ですが、詞も通じるとこがある気もしないでもない。そこで14thの「不等号」。曲名では同様の気はさせます。ただ公開されてる部分の詞はただの恋愛曲でした。んー、考えすぎですかね。。。