えんえん

NOGIBINGOを見たんです。
普段は間違いなく寝てるし、この数回も推しが出てましたが見てませんでした。
今日はたまたま同じ推し同士の友達と長く通話をしていたんです。
それでNOGIBINGOを見たんです。
見た今、胸が少しドキドキしています。
だからちょっとだけ発散しようかなと。

 

僕今日の朝、ちょうど北野日奈子の話をツイートしていました。
北野推しには本当の意味で支えられる力を持った人っていなかったのかなって。
少しの誤解が無いようにいうと、これはボリュームの意味で言っています。
松村の時はそういう人たちがいて乗り越えたって聞いてます。

 

じゃあなんでその話をしたかというと、僕の推し井上小百合推している人たちは
そういう力を持っている人たちだよなって思えたからです。
あのレーンにいる人たちはそうだよなって、なぜだか思えました。

 

僕の友達が井上小百合という糸が繋いで、という表現をしていました。
僕も、安っぽい言葉ですが、今ある繋がりが全て彼女から始まっているという想いは勿論あって。
だからその表現が羨ましいとかではなく、単純に良いなって思いました。
で、その糸って、その先々だけじゃなく、彼女と僕らの間もちゃんとしっかり繋がってるなって思ったんです。
だから、なぜだかそう思えたんだなと思いました。

 

今日の詩はそれだったよねと思えます。
本人もそういう意味で見てくださいと言っていましたが、そんなこと言われなくても分かってたと思います。
僕は、年末に来たモバメの「一緒に笑って過ごそうね」という言葉が大好きです。
この言葉があって、今日の詩は、彼女からその繋がりを渡してくれているような、そんな気がしました。
そうやって分かりやすくしてくれるとこも、彼女を大好きなところです。

 

なんか端から見たら死にそうな文章ですね。まぁなんか言葉にしたかったので良しとしてください。
そういう気持ちにさせてくれることも、なんだか嬉しいなぁと思います。