終わることって楽しいこと?
皆さん、モバメ、取ってますよね?井上小百合ちゃんのモバメ、量もそこそこ、分量もそこそこ、面白可愛いもあればお真面目もあって、本当にオススメします。そんな彼女の昨年の大晦日に来たモバメについて少し。
「終わり」という件名で届いた一通。終わりは「楽しみ」であるという彼女の考えが綴られています。この考えについては、彼女自身以前も言っていたので勿論理解しています。ただ、この一通に書いてあること、その内容はたまたその”書き方”が僕は好きじゃありませんでした。こうは言いますが、同調されるのは一応本意ではないので、その理由は少しだけ。”井上小百合が大好きで彼女のことをよく知っている今の僕”にとって、その捉え方が「人として好みのタイプでない」ことと「僕が好きな井上小百合とは違和がある」ことです。これって前提の視点も大いにあるし、そもそも個人の価値観の話になるので、正直どうもこうもない話だと思います。直接伝える気もさらさら無いので、どうしようとも思わないですし、それを含めても彼女のことは大好きです。少しフォローするような書き方をすれば、彼女の捉え方は演者思想なんだろうなとは思います。
そう。これって個人の価値観の話なんで、人に話してもしょうがないんですよ。「俺ってこう考えてるぜ」って伝えるだけで、「だからどう?」に発展しないんです。でも今、僕は幸いにもそれを伝えても良いかなと思える友達がいます。聞いてくれるのは勿論なんですが、「それは違う」と言ってくれる正反対の分野の同世代、「僕は違うんですけど」と話してくれる9歳年下、「ハッシーさんだからじゃないんですか」とぶつけにくる女の子、そんな友達で、これが僕にとって凄い面白い。議論になるかどうかって、その議論の中心があることとお互いの関係性があることの組み合わせだと思ってます。前者はほとんどイチゼロかもしれません。ただ後者は確実に幅があります。価値観を議論できる関係性ってどの位置まで上がってるんですかね。そんな一昨日の全握後の飲み会の話でした。
議論の中心が『井上小百合』では無いこともたくさんあるんですが、この話は『井上小百合』でした。最近、井上小百合が大好きな人たちと、その人たちが好きな人たちといつもいて、そんなことを繰り返しているので彼女のことが増々好きになった気がします。一昨日の全握は今年始めだったこともあって、最後に「今年も好き!!」なんて言ってしまいました。全握だから尺が短いってこともあってですよ、はい。まあ我ながらバカみたいに気持ち悪いとは思ってますけどね。でもそういう伝え方をしたいな~なんて思ったりもして。
最後に、僕はやっぱり終わりは「寂しい」です。それ以外の感情って「寂しい」を覆いかぶせるための理由を作ってるような感覚があるんですね。慣れってその理由作りの慣れっていうような感覚もあって。これが僕の価値観です。
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(おまけ) 僕を乃木坂メンバーに当てはめると橋本奈々未なんですって。僕もそう思ってました(笑)。このネタ、おすすめですよ。僕はこういうの多分めちゃくちゃ得意なのでめちゃくちゃ楽しかったです。
”姿勢”
これはTwitterの延長線上です。
お題はこれ。「アイドルの”姿勢”ってなんだと思う?」
真正面から答えてくれた友達たちの答えはこう。
んー、凄い単純でもよければ、「私たちと向き合ってくれること」であって欲しいなと思う。それは物理的にも、精神的にも。直接ファンの声を聞くことがずば抜けて多い仕事だと思うから、もはや願望なんだけど。
— 曹長 (@nyaaaan1214) 2017年12月26日
これは僕の中では“姿勢”の話ではないんだけど、特別な才能がないのに勇気であり、癒しであり、希望でありを与えられるのって漠然と誰もが語る“アイドルの才能”に近しいものなんじゃないかってね
— あ 。 (@anananzutaso) 2017年12月26日
この誰に魅せるかを突き詰めていったときに、今のアイドル形態って相手の感情を触れて感じられる機会があって、そこでどれだけの物であり感情でありを吸収できるようになるかってのがアイドルの成長だと思ってる
— あ 。 (@anananzutaso) 2017年12月26日
姿勢について。どう魅せるか、どう見られるのか、そこでどう在り続けるのか。そしてどう魅せ続けて行くのか。魅せ、見られ続ける覚悟を決めた結果がファンと向き合い、パフォーマンスはもちろん、笑顔やさまざまな感情、時に本音を出してファンと絶妙な距離や信頼関係を築いていくことなのかなと。
— したかさん② (@722_831) 2017年12月26日
(勝手に載せちゃったけど許してね)
(いやリプの僕恥ずかしいから消えてくれ……)
上から順にAさんBさんCさんとします。
では僕の見解をほんとに少しだけ。
僕はこの「姿勢」という言葉を「意識」と捉えます。というかそう捉えたことが過去にあったのでそのままそう使います。
では「アイドルの姿勢」は、僕は「見せる意識」と「見られる意識」だと思っています。
人の本質的な側面を生業にする、できるのがアイドル特有だという考えがあって、意識は”人”を変えられます。
敢えてボカすために英語にするとしたらスタンスですかね?
僕は不特定多数を不特定多数としたまま用意するためのスタンス。つまり手前側。
Aさんは不特定多数を特定として矢印を合わせるスタンス。Bさんは不特定多数を特定として更にそこから得るとこまで含めたスタンス。つまりこの2人は奥側。
Cさんはこの手前と奥を繋げてトータルの環境としてのも含めたスタンス。
ってとこかなぁと思います。答えなんて無いんで何でも良いです。
冒頭の彼女。彼女の文面だけから見ると、どちらと言えば奥側。しかも人ものこと全てひっくるめてそうです。僕ら4人は彼女の”姿勢”とはちょっと違うのかな?そりゃあ僕らはそちら側ではないのでわかりません。ってBさんが言ってました。
【追記】
もう二人答えてくれました。DさんEさんです。
(アイドルとしての)姿勢ってことで差別化して考えちゃうと、ファンとの関係なんじゃないかなって思います。ざっくりと仕事への姿勢って言うともちろん真摯に、誠実にっていうのは言葉では簡単に言えるんですけど、アイドルがファンに何を見せるか、何を思わせるかっていうのが
— りてぃ (@sayurity_46) 2017年12月31日
ファンとの関係の中で成り立つアイドルとしての「姿勢」、ここに教科書のような言い方ですけど、真面目に全力で取り組むって言うのは仕事として向き合う「姿勢」なんじゃないかなって。まあ僕はファンなので見える面、見えない面が当然あるので想像とかこうあって欲しいなっていう域なんですが、、
— りてぃ (@sayurity_46) 2017年12月31日
Dさんは手前側。でも僕と逆側の手前側です。これは面白い。
Eさんは奥側。やっぱり奥側が多い。
で、ここまで書いて僕も思ってますが、もちろん各アイドル個々人のステップによって、その時々で答えは変化していくだろうと思います。僕が「手前」と「奥」って言ったように。それはDさんが分かりやすくしてくれました。だって、中元日芽香は明らかにDさんの見解を経てる、ので。
僕がわざと「答えは一つに」と提示したので友達たちはそれに対して答えてくれました。やはり奥側が多いです。だってそれが特質的なところなので。でも、何が本質的に一番なのかって、全然分かんないですね。
あの人のあの人になるために
このブログは人に読んでもらうためのものにならないかもしれません。自分のために自分の言葉を残します。
171223 個別握手会@夢メッセみやぎ。僕にとってこの日が「アイドル 井上小百合」を追ってきた一つの大事な通過点になりました。それは、、、と言うための初めの小話。
彼女は、ファンが自分を覚えてもらう、という点に関して、発言やリアクションが分かりにくいです。それは単に覚えられないのもあるし、意図的なのもあると思います。その意図には単に覚えるのが面倒くさいのもあるし、みんな平等にという想いやりもあると思います。どれがどのバランスかなんて図りようがないですが、僕はそう思っています。
ここから僕が今年通過してきた話です。
以前、彼女に辿り着いたきっかけのブログで「人間の良くないところ」を理由に書きました。これって背景は簡単です。相対的に敵が少ない方が良いからです。じゃあ敵って何かって、不特定多数の一人が「特定の一人」になるための敵です。
人の好みの人になりたいって、人として普通に生きてれば普通なことだと思います。当たり前に僕は彼女に対しても最初からそう思ってました。これも以前話しましたが、それでも「アイドルとファン」ではなく「人と人」を望んでいたので、”そういうこと”はしていません。誰もが思い付くことはそうですが、プレゼントも手紙も渡したことありません。実はブログにコメントもしたことがありません。行為の後に確認の行為を行わなければいけないのは不自然と捉えてるからです。
今年は握手会もたくさん行きました。段々覚えてくれたかな?って感覚は持てるようになってきてましたが確証はありませんでした。
彼女はループで同じ話やネタをしても覚えていないという感覚がありました。そりゃ次に来るまで多ければ30人と別の話をしているので当然と言えば当然です。当たり前にできている人もいるとは思います。でも僕はそんな感覚があったので意図してそれを避けてました。それが段々できるようになりました。これが楽しいのなんの。
話が逸れました。9月上旬に初めてスペイベに行き、そこから4週連続で握手会がありましたが、それでも確証は無かったです。確証をくれなかったので。
そこに舞台 夜曲の出演という話が降ってきました。それは演者にプレゼントが渡せる、という話になりました。幸運にも初日、彼女の誕生日の公演に当選しました。僕はその瞬間に、彼女に手紙を出す、と決めました。
その理由は一つです。「届かせるための手段がうてる」からです。そうなんです。その間にスペシャルイベントというものがあり、その参加資格がありました。
手紙は届いたことが”分かって”始めてのものだと思ってます。「不特定多数」に「公開される」ものは、この届いた確認というものは切り捨てている伝達手法です。Twitterやブログ、またブログへのコメントも合わせた今使えるウェブコンテンツは全てそうです。届いたか分からない伝達手段、僕は本当は好きじゃないです。人の言葉や想いって大事なことには大事に使いたいんです。
〜〜〜〜〜
俺 んで夜曲、プレゼント?渡せるらしくて、そん中にこっそりラブレター入れとくから、こっそり読んでね(笑)
小 うわ、マネージャーさんに抜いとくように言っとこ(笑)
俺 なんでよ!!、俺最近ブログ書くんだけど、これもこっそり読んどいていいよ
小 読まねぇわ(笑)
俺 さゆのお陰でいっぱい友達できたんだってブログ
小 おぉ
俺 だから手紙もいっぱい書くから、こっそり入れとくからこっそり読んでね
小 何のプレゼントくれんの?
俺 え、それ言ったらプレゼントじゃねぇじゃん
小 じゃないとどれがくれたものかわかんないじゃん
俺 えっと、、、お風呂に浮かぶやつ
小 あぁ、アヒルね(笑)
俺 そんなやつ
小 わかった(笑)じゃあアヒル見つけたらあ〜あいつかって思い出すわ(笑)〜〜〜〜〜
迷ったけどそのままあげました(笑)ブログならいいでしょう(笑)手紙は特定の一人になるための手段です。スペイベはそのための手段になり、アヒルはその手段のための手段です。ただ正直プレゼントの中身まで言うつもりは無かったです。確かに名乗ったことも無いのにどうやって気付くんだよって、彼女に助けられました。
【追記】もちろん伝えたい事、伝えたい想いがたくさんあったから手紙を書きました。僕は思ってることを言葉にするのが得意な方だと思います。それが動機です。
夜曲千秋楽の終了後にモバメをくれましたね。終演後にお手紙を見ていたと。そのモバメの文面でほとんど確信できました。その理由は重ねられるんですけど、それでもやっぱり僕一人とは言い切れないです。けど、十分満足はしたのと、次の仙台での握手会にちょっと期待してもいいかなと思えてました。
そして迎えた171223 個別握手会@夢メッセみやぎ。上で書いたようにループしまくる気でいました。枚数まとめたのは1部朝一の2枚、回りきれなかった2部の7枚と3部の4枚、5部今年最後としての8枚。48枚で31回ブースに入りました。1部朝一の2枚、不自然ですねぇ。えぇ、でもダメでした。向こうからはやって来なかった。たまたま、次の部で7枚も余してしまったのでここに決めました。
俺 黒ひげ覚えてる?
小 あ、覚えてるよ〜!
俺 あんとき夜曲のプレゼントにこっそりラブレター入れとくって話したじゃん
小 あぁ、うん
俺 んでプレゼントにアヒルあげるって言ったのに、らじらーでアヒルほしいって言われたんだけど!!!
小 wwwww
小 ちゃんとみんなのやつ取って並べてるよwww
俺 ムカついたからうんこめっちゃ入れといた
小 ほんとだよ!!めっちゃゴミみたいなのいっぱい入ってたわ!!!
こんなのです。直接手紙のことも、言おうと思えば言えました。でもなんか止めました。これで十分だろうと思ったからです。手紙は手紙となって、僕は彼女の”あの人”になれたと思います。
この日の握手はとにかく楽しかったです。同じネタでループして、それに返してくれて。たくさん笑ってくれました。たくさん笑わせようともしてくれました。
僕が初めて訪れた握手会は2016年6月25日。一年と半年後のお話。こういうことって僕に限ったことではありません。誰かの先を行くことでもありません。でも、僕自身が”今”を想い出す材料にするために、残しておきたくなったんです。
僕は握手会で普通に真面目な話もします。もちろん言葉は選んで出しますけどね。そして、僕は今年何度か、彼女の言葉を引き出そうとトライしたことがあります。でも、全て不発でした。これが来年の小さな目標です。叶えたいな。でもやっぱり、笑って話してくれればそれでいいや。
きっかけ②
自分のこと 自分で決められず
背中を押すもの 欲しいんだ きっかけ
背中を押すもの、それは”誰か”であることが多いですよね。あの人が誘ってくれたから。あの人がそう言ったから。あの人がそうしてたから。決心をする時、理由がその”誰か”であることもあれば、決心をした後、振り返ると理由はその”誰か”だったことも往々にしてあります。
前回の続き、僕が「行動」をした、すなわち「握手会」へ踏み出したきっかけの話をしたいと思います。今回の話は特に、誰かにとっては至極どうでもいい話かもしれません。もし少しでも興味が、という方だけお付き合い願えればと思います。
僕が初めて訪れた握手会、それは2016年6月25日、2ndアルバム発売記念個別握手会でした。申込は第6次、抽選結果は6月3日に出ています。前回お話したように、乃木坂46に辿り着いたのが2015年なので1年あまり経った日、ということになります。では僕はその申込の日、何をしていたのか。何故少しの衝動も感じなくなるような1年の期間を経て申し込んだのか。ここから少し私個人の話をしていきたいと思います。
まず、申込の日、何をしていたのか。僕はとある会社の新入社員として工場研修に参加しており、研修修了が近づいた同期飲みの席で申込をしました。20人いた同期のメンバーの中に、一人だけ乃木ヲタを見つけたんです。20人の中に一人しかいませんでしたが、それまでの研修中にその人が乃木ヲタだと知っていて、その日声をかけました。
実は、あってはならない同業ならわかるそれなのですが、研修当初に労災レベルの怪我をしてしまいました。小指の骨の剥離です。包帯ぐるぐるの見た目でアレなやつです。そんなこともがあったため、ライン(実際に物を作っているところ)研修では予定とは違う、元々女の子が入っていた負荷の低いところに配置してもらいました。当たり前ですがそれはもう勤勉に働いていました。そんな最中の5月25日、工場内を歩いていたら「今日なぁちゃんの誕生日だよ」という声が聞こえてきたんです。作業着の下に乃木坂関連のTシャツを着てたりしましたが、就業中はそんなこと考えてもいませんでした。そんなことを言っていた乃木坂ヲタク、なんと私が配置されたラインの班長でした。とんだ偶然です。偶然に偶然が重なりました。その日も勿論のように4thアニバTを着ていました。必然のような偶然を偶然に更に上塗りしました。当たり前のようにすぐ仲良くなりました。そこで知りました。僕の前に持っていた◯◯さんも乃木坂好きって言ってたよ、と。労災起こしたからたまたま配置されたラインの班長が乃木ヲタでそこに20分の2の乃木ヲタが配置された。その班長とは今でも凄い偶然ですねえと、話したりします。
そんな偶然があった上での飲み会。もちろんその同期に声をかけます。女の子でしたが当たり前のように盛り上がります。握手行ったことあるの?なんてことも話します。「今アルバム持ってるよ!」なんて言ってきます。「今個握申し込めるよ!」なんて言ってきます。「一緒に行こうよ!いつにする?」なんて言ってきます。どんどん背中を押されました。「申込ってどうやるの?」なんて言いながらあっという間に申し込んだことを覚えています。
僕はその間の一年余り、握手会に興味が無かったわけではありません。握手レポもよく見てました。自分だったらこうしたいな、なんてことも考えていたこともあります。大学院時代に後輩が行ってた話を聞いたりもしてて、仕組みもわかっていました。大学院時代は経済的余裕が全く無かったということもありますが、でも行こうという衝動までは起こらず、このまま家でレポ眺めてれば満足できるなぁなんて思ってました。もちろん、一緒に行こうと言える友達はいませんでした。今思えば、ただそれだけのことだったのかもしれません。ちょっと同じ”好き”を持つ人に少し押されただけで、今までのものは全て覆っていきました。
少しだけ、その後の話と僕にとっての握手会の話をします。
初めて行った幕張メッセ 2ndアルバム発売記念個別握手会 6月25日第2部、手に握った券は2枚、アルバム1枚分です。アルバム個握だったので歌衣装でしたが、熱望していた命は美しいの衣装でした。そこまでは覚えていますが何を喋ったかは殆ど覚えていません。「可愛いですね!」とは言った気がします、井上レポをたくさん見ていたので。たまに聞かれますが、僕ははじめからたくさん券を取るタイプではなかったです。2ndAの2枚から始まりステップアップしながら17thに100を超えました。
そして、僕にとっての握手会ですが、僕はちゃんと「人と人」とのコミュニケーションの場だと思って行っています。これは僕の人生観も入ってますけど、なんでもやる人やれる人でいたいんです。だから報告のような話もするし笑わせるようなこともする、バカみたいなことも言うし真面目な話もします。結局それが、人と人との付き合いだって思ってます。
最近、伊藤万理華推しの人のブログを読みました。たまたまそのタイミングがあって。そのブログを読んで思ったこと、単純に、伊藤万理華ちゃんを推してて幸せだったろうな、と感じました。万理華ちゃんのコミュニケーションはちゃんと「人と人」として貰えているんだなと、レポを見てても分かりますよね。そういう意味で幸せだったろうなと。その点では僕の推し、井上小百合ちゃんはもしかしたら推してる人を幸せにしてくれる方ではないのかもしれません。僕のそういうエゴを与えてるのかもしれません。でもこの先もずっとこのスタンスは変えません。そう決めたのは、彼女が、ちゃんと受け取ってるよと、示してくれる姿です。
決心は自分から 思ったそのまま... 生きよう
この「行動」をした今、とても楽しいです。
きっかけ
決心のきっかけは 理屈ではなくて
いつだってこの胸の 衝動から始まる
僕はこの詞がすごく好きです。直感から行動することってすごく意思を使ってると思うんです。
僕の「きっかけ」、乃木坂46と井上小百合に辿り着いた話をしたいと思います。
僕は今26歳、91年生まれです。この歳の著名人は前田敦子、高橋みなみ、板野友美、、、いわゆるAKB48の黄金世代です。それもあってAKBを知らないわけありませんでした。ただ、理由は述べませんがAKBが嫌いだったんです。そもそもアイドルに興味がない、どちらかと言えば毛嫌いもしてました。
乃木坂46も勿論知っていました。それは”AKB48を知っているから”です。知っていたのは生駒里奈と制服のマネキン、白石麻衣と橋本奈々未、おいでシャンプー、でした。制服のマネキンは「こんな特異なことしてんだ」くらいだし、正直橋本奈々未は好み、くらいです。
明確に乃木坂46に辿り着いたのは2015年の春、11thの終わり頃です。僕は大学院2年、就活ってものを行ってたりしたんですが、仲の良かった院1年の後輩がめちゃくちゃ飲みに誘ってくるんですよ。ほんと迷惑な奴なんですが僕は行っちゃうタイプなんです。飲みに行ったらそりゃカラオケにも行きます。その後輩、どうやら春休み中に乃木坂にハマってたようなんです。なんでMV付きの曲を流したりするんですよ。で、俺の推しメンはこれとか、○○(僕の名前)さんはどれっすか?とか言ってきて公式のメンバー一覧で選んだりするんです。まぁ有りがちの楽しいやつですね。ちなみに第一感では生田絵梨花を選びました。その後も○○さんはいくちゃんだからーとか言われてましたがまだまだその気は全然無く、ちゃんと就活をしてました。
就活がちょっと落ち着きつつあった5月下旬、就活中とはいえ研究室にはしっかり行ってました。そんな時に、かの後輩は研究室の自分のPCフルモニターで乃木中を見てるんです。ほーんとアホ。僕の起源になったアホです。○○さん、これヤバいっすよ!!!ってすごい言ってくるので見たのは衛藤美彩の一人飲み企画。これがヤバかった。なんでですかね。衛藤美彩が好きになったわけではないんです。アイドルがテレビの企画でお酒飲むんだ、とは思いましたがそれも答えでもないです。直感的に、これまでアイドルを毛嫌いしてた気持ちも覆すほどに、好きになりました。その後の就活帰りの電車はめちゃくちゃ乃木坂46を調べてました。(ちなみに就活はその1週後に内定を貰い終えました。)
これが、僕が乃木坂46に辿り着いた瞬間です。
その後の6,7月は少しサボってました。無論、乃木どこマラソンをしていたからです。ただ、僕が少し人と違ったのは、後ろから遡っていたこと。11thから遡るとメインは勿論西野七瀬です。それはもう西野七瀬が好きになりました。余談ですが、僕の持論に”乃木坂46が好き”な男は至極西野七瀬を通ると思ってます。その時期に西野七瀬にフォーカスしてると浮かび上がってくる人物、秋元真夏も気になるメンバーになりました。でもこの世界で足を進めるには、やはり「一人に定めたい」って思うものです。ましては人と一緒に始めた乃木坂46。「推しメン」という言葉で十分楽しめるんです。そこで人間の良くないところが出てきます。「ちょっと人気がありすぎない子がいいなぁ」なんて。でもこの時期から遡って、井上小百合に出会えるわけありませんでした。乃木どこマラソンを終えた結論は秋元真夏でした。
その後はNOGIBINGOと46showなど単発映像媒体を見ました。この辺は各メンバーをそれぞれ見つけてる感じでしたね。これも少し人と違うと思うんですが、その後に手を付けたのが乃木ののだったんです。そしてこれも違うどころじゃないと思うんですが、僕が井上小百合に出会ったのは乃木ののです。乃木のの#25(衛藤井上飛鳥)と#29(衛藤井上永島)の回です。特に#29は今聞いても楽しいです。今でもこの25と29という数字は覚えてます。ありがちですが井上小百合はおっとりした子だと思ってました。声フェチの僕にドンピシャな声であることも認識していました。ただ正直顔は嫌いでもないけど好きでもないみたいな。でもこの子、ラジオなのになんかめっちゃ口悪いんですよ。おっとりしてて声のかわいい子が、なんかめっちゃ口悪いんですよ。ビックリしたというか気になっちゃって気になっちゃって。まだこんな子がいたんだってのもありましたけど、これも分からないです。表情も分からなければ、そもそもこの子を殆ど理解してない。かなり直感的だったと思います。
で、たまたま運が良いことか、はたまた巡り合わせか、映像媒体からなめてたはずだったのにのぎ天の存在を知らなかったんです。もうお分かりかと思いますが、のぎ天を見てるうちに推しメンになりました。もちろん人間の良くないところもちょっとはありました。でも直感で気になった子を一番好きにならない訳がない、そんな感じだった気がします。
これが、僕が井上小百合に辿り着いた瞬間です。
アイドルファンにとっての「行動」は「握手会」だと思います。ただ僕が「行動」をするのには少し時間がかかりました。それはまたいつか。
ステージ
「乃木坂46 真夏の全国ツアー2017 FINAL!」@東京ドーム
1日目のみ観に行きました。その1日目に、思ったこと”だけ”、振り返っていけたらなと思います。
先に言っておきます。楽しかったです。満足もしました。ただ、高揚感が期待値に変わりすぎていたかもしれません。でも、この場所にいることが最高に幸せだとは心から思いました。
0曲目
Overtureの高揚感のまま幕が開き、ステージに立つ乃木坂46、この光景が見たかった。これだけは言わせて欲しい。
1曲目
この曲で始まるこのライブは最高になるなと直感しました。これはセトリの意味で。そしてやっぱり生駒里奈で始まるんだなと。ぐるカーで始まっていたらめちゃくちゃ泣いていたと思います。それでも制服のマネキンで始まるこのライブ、趣向は違えどやっぱり生駒里奈から始まる乃木坂46。僕は乃木坂46の生駒里奈が大好きです。なのでやっぱり泣きました。
4曲目
ここで気付きました。これは歴代センターで回してるって。単純にセットリスト内の演出として良いなと思いました。それは、このステージにフィットしてるから。
8曲目
三番目の風、僕は単純にこの曲が好きです。風って「勢い」の意味で例えられますが、それが全てこの曲に詰まっていて、それを体現できている12人だと思ってます。それをこのステージで、なんの遜色もなく、みんな楽しそうにやってました。この曲はどこまで上り続けるのか、3期生が上り続けるからこの曲が上り続けるのか、凄いパワーを持った曲だなと改めて思いました。
10曲目
他の星から、僕はこの曲自体はそこまで好きな部類ではありません。ただ異常にライブ映えする。この曲も変な力を持った曲だなぁと思います。この曲の時、よく画面分割の演出しますよね。僕その王道の◯分割めちゃくちゃ好きなんです。今回もそれ、推しの井上小百合はセンターモニターの3分割の右に映りました。真ん中のモニターに映るの嬉しいなぁと率直に思いました。
15曲目
19枚目アンダーって言ってました。あーあーやっちゃうんだなーやっぱ、3期もやったしなー、わざわざ名前コールするほどかー?そんなことは忘れました。これまで叶ってほしかったけど叶わなかったこと。それがこのステージなんだと分かりました。正直、万理華で始まるのもそういうことかなんて思ったりもしましたが2曲後に忘れました。
16曲目
僕は「センターに立ったこと」は正直あんまり意識しません。このステージに「井上小百合の曲」が選ばれたこと、の意味合いのほうを強く受け取ります。嬉しくなったというか誇らしくなりました。「やったなぁ!」みたいな。ツイッターでは”0番に立てる事実と状態と曲”と書きましたが、”過去と今とモノ”全てが揃ってなければ選ばれなかったと思います。これは「伊藤万理華の曲」「中元日芽香の曲」が選ばれたことも同様です。でもこの二人は井上小百合よりも少し「自分の曲」が多い。だからちょっとだけ、推し目線だけど、この二人のファンより誇りたい、そんな気持ちでした。
17曲目
ひめたんの隣で、近くで、パフォーマンスすることができたさゆが本当に楽しそうでした。
僕はアンダラ千秋楽の宮崎に行っています。その日も中元日芽香はすごくにこやかでした。よく色んな場所を眺めていました。最後の一言まで唇を噛む瞬間はありませんでした。僕はその日その光景を消化してきたので、この日にさして思うことはありませんでした。その日とこの日は同じでした。
19曲目
その日は北野日奈子は中元日芽香と共にすることを噛みしめるかのように楽しんでて、この日もそうでした。アンダーという曲の中の振りに二人ずつで向かい合って手を繋ぐ瞬間があるんです。
21曲目
西野七瀬は今日も亜空間の使者にされてました。かわいいなぁ。プロジェクションマッピング的なやつ。僕はめちゃくちゃ楽しかったです。だってドームじゃなきゃできなさそうじゃないですか。すげぇなぁと思うものは普通にすげぇなぁと思います。
22-23曲目
命-逃げ水-インフルの会場演出は単純に震えました。王道大好きマンなので。逃げ水良かったですね。この曲だけは「真夏の全国ツアーファイナル」を見られた気がします。大園桃子と与田祐希のストーリーです。
24曲目
黄色に染まった時、あれ紫じゃないっけ、とは思いました。でも僕も合わせて黄色に変えました。生田絵梨花のピアノ伴奏に皆が呼応して黄色にしたとしたら僕も賛同したい、ただそれだけです。どこに悪いところがありますか?
25曲目
僕は真っ青に染まる何空と真っ赤に染まる嫉妬が乃木坂ライブで群を抜いて好きです。
En2曲目
ちゃんと叫べるロマスタ最高。
En3曲目
乃木坂ライブの最鉄板曲になったガルル。それはセンター白石麻衣の存在ゆえです。僕はこの一年運良くかなりライブに入れたこともあって、いつ”本物のガルル”が見れなくなっても後悔しないように目に焼き付けてきました。来年も絶対後悔しないように全力で叫び続けたいと思います。
MC
ライブは最高でした。セトリも最高、演出も最高、ワンハーフじゃなくフルで聞ける、特にインフルの2サビなんか最高でした。ただここだけがどうしてもピンとこなかった。
正直MC殆ど覚えていません。そもそも少ないは少なかったですが、単純に印象に残ってないんです。覚えているのはEnの松村沙友理と桜井玲香です。しかも桜井は良い意味じゃない。
最初のMCからなんかいつも通りだな~と感じていました。桜井は最後のMCで最近ではしなかった緊張していた話をしていて、確かにいつもより言葉が続いてこないなって感触は受けてましたが、やっぱり良い意味ではそれを上手く隠してるレベルでいつも通りでした。これまでの全ツと同じ。これはこのステージに立ってもいつものように振る舞える力が全員に既に備わってるとも取れます。
ただ僕がこの1日目のステージに求めちゃってたものはそうでは無かったからです。ライブは言えば”期待通り”です。それを上回る何かを感じるにはこのMCパートしかなかった。それを叶えてくれたのが松村沙友理だけでした。そうなんです。僕は「このステージだからこそ」を求めていました。
松村は全ツ中もずっと楽しそうに笑ってましたが、この日も兎に角よく笑ってました。今思えば緊張の裏返しだったかもしれません。そんな松村のMC、「ここにくるまで色んなことがあった...目の前が真っ暗になった時に、キラキラ光ってこっちだよと導いてくれたのは皆さんだった」。背景はどうでもいいんです。ただこういう言葉や空気が欲しかっただけなんです。この言葉、松村は言いたくて言いたくてたまらなかったんじゃないかなと思います。でも自信もなければ勇気も無かったんじゃないかなぁと。それは松村沙友理”だから”ではありますが、そこを踏み出させる自信はこのステージだったから、泣きそうな心を笑顔に変えて伝えきった勇気はこのステージだったから、そうだったんじゃないか、そうだったら最高のステージだったなぁと思います。「支える」って今でもわかんないし、本質見ちゃいけないことなんて分かってますけど、この子をこのステージに連れてきた全てのことが報われたのかなと、思えた瞬間でした。
(おまけ)2日目
この”ステージの最終”、ダブルアンコールで、卒業する伊藤万理華と中元日芽香を送りだしたんですって。上記のスタンスがあったので正直僕が望む形ではないんですが、如何せん僕は乃木坂46が大好きです。このメモリアルなステージの最後にそんなことができる乃木坂46が大好きです。だから、伊藤万理華・中元日芽香がいた大好きな乃木坂46を見て、僕も涙したかったなぁと思いました。
思ったこと書こうと思って曲に追って思い返してみれば、それほど悪いことは出てきませんでした。何も思わなかった曲がまぁあったのはそれはそれですが、やっぱり楽しかったみたいです。でもやっぱり僕の中ではちょっと物足りない。初の東京ドーム公演、もう一度やりましょう。いけます。まだやれます。
友達に会いに行くということ
僕は昨日京都に行きました。
何をしてきたか、というと、伊藤万理華の個展に行き京都を観光しある子の無敵券のみ持ち握手会会場に行きサユリストの友達と鍋パーティーをしてきました。
今はその帰路です。
詰まった旅だったので日記のように書き綴っていきます。
先に書いておきますが、僕のこの旅の目的は「サユリストの友達と鍋パーティーをする」です。
まず、なぜ京都に向かったかの話をします。
この日、京都パルスプラザで個別握手会がありました。
僕はこの日の券を取っていませんでした。
が、そこで挙がってきた話が鍋パーティーです。
「気の合う友達と鍋パーティー」、そこそこ普通の大学生を通ってきた僕はこれの楽しさを知っています。
ただそのために"京都に向かう"には、僕の中ではもう一つ動機が欲しかった。
そこに現れたのが「伊藤万理華の脳内博覧会」です。
なのですが、僕はこの博覧会に興味が無かったんです。
伊藤万理華という子は好きです。
僕の推し、井上小百合の大切な友、戦友でもあります。
でも、"この子のために京都に向かう"は僕には足りませんでした。
「犬メン」、これも僕には足りません。
この舞台を見てないこともあり思い入れがほとんど無いです。
またこの博覧会での展示物のコンセプト、正直これも好みではないです。
僕は井上小百合の、子供のように笑う姿が好きです。
この博覧会は"京都に向かう"動機になりませんでした。
もうこうなったら最終手段です。皆が握手している間に観光してやろうと。
僕は大人になってしっかり京都に訪れたことが無かったのでこれは大きな動機になります。
多くの人が修学旅行で一度訪れたことがあるだろう日本の観光地。
その頃、いわゆる子供の頃の感覚と大人になって訪れた時の感覚の差を楽しむなんて話も京都観光にはありますよね。
僕はどうやら直感的に物事を捉える特質みたいなので、その楽しみも持っていました。
そうなると一緒に共有できる人がいるといいなという欲が出てきます。
そこで別日に脳内博覧会に行こうとしていたひとりのサユリストのお友達に一緒しようと誘い込み、なんと成功しました。半ば強引に。
こうして僕の握手遠征でないのに"京都に向かう"動機が完成しました。
夜行バスに乗り、京都駅に着き、碁盤模様の道をふたりで歩き、なぜか握手会の日に二日酔いでゲロゲロになってるバカな友達の家に荷物を置き、京都観光へ出発しました。
まず向かったのが北野天満宮、「伊藤万理華の脳内博覧会」です。
元から先に書いた理由があり、展示では楽しめないだろうなとは分かってました。
ただショートムービーが良いとは教わっていたのでその期待はありました。
…その期待がそこにはありました。「はじまりか」。
僕たちファンは彼女たちに"注いでいる"と僕はひとつ捉えています。
そのお返しが欲しいから注いでいるわけではありませんが、やはりどこかで求めている、貰えたら嬉しいと思っていると思います。
「はじまりか」のその言葉はそんな最大級の言葉でした。
僕の動機はここまで書いた通りでしたが、泣きました。
僕たちが"本当に一番"注いできた子にその言葉を言われたら泣き崩れるだろうなと思いながら泣きました。
伊藤万理華は言葉は正直上手くないです。ただ表現がとても上手いんです。最後の最後に表現者伊藤万理華に直に触れたと思ったら寂しくなりました。
その後は北野天満宮を歩き、龍安寺、仁和寺、清水寺と回りました。
これが京都だなって肌で感じたり、思ったより小さいなと感じたり、塔の高さを推しメン換算したり、何気ないですが楽しい時間を過ごしました。有難う。京都はまだまだ色んなところを観光したい。
そして京都パルスプラザに向かいました。
この日、僕が唯一持っていたある子の無敵券とは、伊藤万理華さんでした。
この話はツイッターに書いたものを転載します。
正直、その先で推しがいる会に使う気はほとんど無かったです。万理華には申し訳ないですが僕のポリシーがあったので。ただ、状況は大きく変わりました。そして偶然にも、僕は明日京都に行き伊藤万理華さんの個展に行きます。そんな色んなことが巡り巡って、明日使うたった2枚の券になりました。
— ハッシー (@_haru63ngzk) 2017年11月3日
余計なことは話さず、僕の推しメンみたいにカラッとしようと、良い握手したいなと。この日唯一の握手でしたが願い通りの握手ができたと思います。それがこのタイミングでできたことは良かったなぁと思います。
最後にこの旅の目的、鍋パーティーに辿り着きました。
僕はどちらかというと"定義"にこだわる方だと思います。
友達、仲間、知り合い、僕はどちらかというと振り分けがちです。ただ間違いなく、"友達"と思える存在はできました。
繋がりの話は前回しました。それは僕が受け取っている話。今回は僕が渡したい話を少し。
僕は今26歳です。今よく集まってるサユリストたちがいますが、その中にいればほぼ間違いなく最年長です。
その中には不思議なようで当たり前ですが東京の人、名古屋の人、京都の人、同い年もいれば9つ下もいます。
僕も彼らから受け取っていますが、彼らもその彼らから受け取っていることを最近見えるようにしてくれます。
昨日、その場にその最年長が二人いて、じゃん負け買い出しの役になりました。
その二人、横浜と京都なのに出会ったのは名古屋、その二人が二人を結びつけた存在に出会った日は同じ日でした。凄い偶然です。そういう意味でもこの時間って人生で偶発的なものだと思ったら、それって得ないと損だよねなんて話したり。
これが僕の今回の旅の目的への動機です。
その損とは、僕が彼らに渡せるかもしれない機会を失うことです。
受け取ったら返したい。
僕の推しも至極同様のスタンスだと思っています。
僕もその気質が強いです。それがエゴと言われてしまったら敵いません。
でもこれって感謝ということなんだなと思います。
感謝って相手がいないとできないんです。
僕が友達と思った人には、僕を友達だと思って貰えるよう渡したい。僕が繋がりを受け取った人には、僕が彼らの中の彼らになれるように受け取って貰えるよう感謝を返したい。そう思っています。
僕は昨日一日とても楽しく幸せでした。感謝は幸せに繋がるのかもしれませんね。
だから、そんな幸せな機会を失いたくないなって思っています。